介護について



1.介護講習会
2.老人介護の心得
3.リハビリについて
4.食事について 5.ボケについて
6.これからの高齢者社会
7.「歩く」ということ(2000.7.15)

介護の経緯(1989年から1999年 )
介護の経緯(2000年1月から)
介護保険制度



1.介護講習会
おばあちゃまが脳卒中で倒れる約1ヶ月前に、赤十字の家庭看護法の基礎家庭看護と老人家庭看護の講習会を受けておりました。
夫が長男で、私が四人姉妹の長女ですから、いずれ親の世話をしなければならない時が来ると思っていたからです。
お陰で、急に介護するようになっても戸惑わずに自信を持って世話することができました。
一寸したコツを会得していることは、気分的に助かるものです。
現在は未だ、講習で習った「寝たきりの状態の看護」は、しないで済んでいます。

2.老人看護の心遣い( 赤十字家庭看護講習から )
  1. 親切第1に
  2. 聞き上手に
  3. 仲直りは積極的に
  4. 信頼される
  5. 寝たきりにしない
  6. 事故防止

長く続く老人介護にあって、老人が気弱になっていたり、身体の調子が悪い時には、優しく接する事は、当然であり、易しいのですが・・・。


3.リハビリについて
私は、横浜で、「グループ・ちえん」という高齢化社会について考える会に所属しています。
グループ・ちえんは、土地の縁、地縁と、鎖のチエーンをかけたもので、私の住んでいます地域で、これからの高齢者社会を考えて行こうと、特別養護老人ホームへ、定期的に洗濯物たたみに行き、また、その時々のボランテアをしながら、情報を集め、年に1度、社会福祉協議会から補助をうけて、講演会を持っています。
私は、現在も、横浜に帰った時は、できるだけ参加するようにしています。

そのグループ・ちえんの活動で、新横浜に、新しく完成した高齢者総合福祉施設を見学しました時、興味の深かったリハビリセンターも見せていただき、お話を伺いました。
リハビリするにも、ある程度リハビリして、回復しない障害になった機能には、何時までも、こだわらないで、残っている健全な機能を訓練して、日常の生活に役立たせ、楽しく生活できるように、気持を切り替えていかなければいけないと言われました。
麻痺した機能は、いくら訓練しても、良くはならないのですが、その気持の切り替えが、どうしてもできない人は、かわいそうです。
障害になった機能の回復は考えないで、使える手を有効に使って、自分でできることは、なるべく自分でして、他は、人のお世話になり、それを感謝して暮らしていく。これが、障害者の幸せな生き方だと思います。


4.食事について
老人は、新しい味には、なじめにくく、それまでの食事に沿ったものでないとだめなようです。
うちの場合、今まで食べたことのない生クリームを使ったものや、チーズ味は受け付けません。
油こいものは、いやと言っても、天ぷらや、フライならよいのです。
切り方は、箸でつかみ易い千切りや、短冊切りにします。
朝の味噌汁は、いろいろな野菜と、豆腐または麩を入れた実沢山のものにして、それに、煮豆、佃煮など、少量付けます。
昼は、パンが良いようで、茹で卵か、オムレツに、野菜サラダや野菜炒めを付けます。
サラダは、ポテトサラダが好きで、ジャガイモを、3、4個茹でて、ミックスベジタブルを加え、粗くつぶして、冷蔵庫に保存しておいて、キュウリ、ハムなどを加えてサラダにしたり、オムレツの中に入れたりします。
チャーハンも好きで、ハム、玉ねぎ、にんじん、椎茸を炒め、グリンピースを加えてきれいに作り、卵閉じの吸い物を付けます。
盛り方は、とても大切で、色取り良く盛り付けます。
たとえば、肉じゃがなども、そのままではなく、肉、じゃがいも、こんにゃくと分けて、にんじんの赤、えんどう、ねぎなどの緑を配色良く盛り付けますと、同じ物でも一寸した心遣いで、見た目が、全然違います。
魚は、食べ易いようにと、ほぐすと嫌がりますので、隠し包丁を入れ、見た目は形のままにしておきます。
栄養のバランスを考えることは、老人に限りませんし、味は、私自身が、元々うす味で、緑黄野菜が好きですから、よく使います。
栄養を考えて、そして、私共夫婦の食事のこともあり、いろいろ作りますが、彼女には、多すぎるようで、たいてい1種類しか食べませんので、一皿で、栄養の取れる中華風の料理をよく作ります。


5.ボケについて( 日経ホームマガジン 老親ケア 参照 )7月
介護を始めて7年にもなりますのに、私は、ボケということが良く解っていませんでした。5月20日現在 それは、おばあちゃまは、理知的で、新聞を読んだり、テレビも教養番組が好きですし、理屈をよく言いますので、
  1. 物忘れ、
  2. 徘徊、
  3. 幻覚妄想、
  4. 乱買、
  5. 失禁弄便

と言ったボケ特有の症状がないと思っていましたが、最近、妄想の中で生きていると気付きました。
勿論、時々、呆けていると思いましたが。
私の父は、最近物忘れが進み、同じ事を1日に何度も何度も聞き、毎月行っていた所も行き方が分からなくなり、途中で戻ってきたりしているうちに、行こうとしなくなりました。 こういうのを、ボケだと思っていましたが、これは、単なる老人性の物忘れなのです。
ご飯を食べささないとか、持ち物がなくなったと言うのは、もうよく知られていますが、本当に思いもかけない酷いことを言うのです。
現実の世界に生きているのではなく、自分の世界だけで生きていて、現実の自分を把握できないのがボケなのですね。
最近やっと気付きました。

ボケ老人をかかえる家族のたどる心理的ステップ

  1. とまどい、否定
    それまでしっかりしていた肉親が、不可解な言動をするようになったことに対す るとまどい。
  2. 混乱、怒り、拒絶
    まだ呆けかどうか、確信できず、教え込んだり、叱ったり、遂には、老人を拒絶 したくなる
  3. あきらめ
    怒ったりイライラするのは、自分に損だと思いはじめ、あきらめの境地に。本や 新聞からボケの情報を得て、ボケが次第に理解できるようになる。対応が上手に なってくる。
  4. 受容
    ボケに対する理解が深まる。ボケ老人の心理を自分に投影できるようになり、あ るがままの老人を受け入れるようになる。心から老人に優しく接することができ る。ケアにゆとりがでてくる。

ボケの7法則

  1. 記憶障害に関する法則
  2. 症状の出現強度に関する法則
  3. 自己有利の法則
    自分の不都合なことを、うまく言い逃れたりするのは、自己保存の本能に根ざす ものと思われる。
    ボケに理解が無いと老人を低い人格の持ち主と考え、人間関係がうまくいかなく なる。
  4. まだらぼけの法則
    常識的な人だったら行わないような言動をしている場合は、これはボケの症状だ と割り切ること。
  5. こだわりの法則
  6. 感情残像の法則
    ボケの年寄りは一般常識が通用する理性の世界から出てしまって、理性とは対極 の感情が支配する世界に住んでいる、と考えられる。
    叱ったり、説得は逆効果。年寄りが穏やかな気持になれるように接することが1 番。
  7. ボケ症状の了解可能性に関する法則
    知的機能が低下していることを考慮し、または赤ちゃんと同じと考えれば、ボケ の症状は決して奇妙でも異常でもなく、理解できるものではなかろうか。


6.これからの高齢化社会
子供が少ない、これからの社会にあって、老親を看ることは、大変な事です。
親を看るということは、人間だけの行為です。動物は、子供を、自分で食べられるように育てますが、子供が親を看るということはしません。 ですから、親の世話ということは、最も人間らしい行為です。
私の友人が、これからは、人間に「介護期」という期間があると言いましたが、される方も、する方も、全ての人間にあるわけではないのです。 子供を育てる事は、子供を持つ人は、全て行い、期限も決まっていることですが、老親介護といいますのは、親がいてもしなくても済む人もあり、期限も、ほとんどない場合から、何十年と続く場合まで、様々で、そして、その予測ができないのです。
1夫婦で、4人の親を看なければならない場合もあります。
経済的にも大変なことで、親としては相当な蓄えが必要で、子供のためというより、自分たちのために、できる限り貯えて行かなければいけないと思っています。それで残れば使い方はいろいろ有るわけですから。


7.「歩く」ということ
7月13日、骨折で入院していた義母が退院しました。
この度の入院では、本当に多くのことを学びました。

A、まず、人間が二本足で立って歩くことの大変さです。
普段、健康な時は何でもないことですが、大腿骨などを骨折して、 一ヶ月ほど寝たきりの状態になった場合、自力で歩けるようになるまで、 本当に努力の要る大変なことだと思いました。

病院でのリハビリの過程は、

  1. ベッドの上で足を上げる。骨折した足は上がり難い。
  2. ベッドの上に起き上がって座る。
  3. 抜糸後、骨折した足を床に着けないで、ベッドから車椅子に乗り移り、
    車椅子を手で漕ぐ練習。
  4. 車椅子を漕いで、トイレに行く。
  5. 術後1ヶ月して、立っている練習。(器械の名前を忘れました。)
    板上で、膝を固定して、30度の傾斜で15分から始め、2日毎に角度を上げ、 2週間で80度まで上げる。これでほぼ垂直に立つことになります。
    ここで初めて両足で立つことを許されます。
  6. 平行棒で捕まって歩く、それから歩行器で歩く練習。
    歩行器でトイレに行く。
  7. 杖で歩く。
  8. 自力で歩く。

この過程で、歩けるようになるかならないかは、車椅子で、そして歩行器で、 トイレに行く気があるかどうかが大きな分かれ目です。
練習しなさいと言われても、骨折した足は痛く、なかなか練習する気には なれないのです。
でも、トイレには、1日何回か行かなければなりませんから、トイレに行くと 自然に歩く訓練になるのです。
ここで、辛いからオムツでいいと思ったら、もう根本的に進歩はありません。

若い人は体力、気力がありますから、辛さを乗り越えられますが、 高齢者にとっては、なかなか大変なことのようです。


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