車歴



バイク
17歳直前で原付免許を所得。
次の年小型自動二輪を取得。
19歳位で中型自動二輪を取得。
大型は、いつでもとれるや(??)どうしても欲しい、大型バイクを買ったら、取ろうと思っている。

No.1  シャリー改
ボーソー族が乗っていた物が廻りまわって、僕のとこに来た。3万円だった。
圧縮はスカスカですぐ熱だれした。ビッグキャブがついていたが、寒い冬なんて、走っているのに霜がついた。
タイヤは、TT100Aサイドスリックに交換し、Araiの黒いAstro、ブーツは、Takaiの”汚れた英雄”モデル(平忠彦モデル)。
グローブは、フランコ・ウンチーニが使っていたやつだっけ。
夏でも安物の皮ジャンを着て走りに行くときは先のブーツ等。今、考えると恥ずかしいねぇ。
ガソリンが一番高かった時期だと思うがリッター150円以上したと思う。そして、日曜日はスタンドが休みって時期だった。
放浪に出たくなると、小銭を集めて、ガソリンを入れ、走り回った。
ツーリングに行くときは、ガロン缶をシートの後ろに縛り付けていった。
道端でポイントを擦ったり、無くなった圧縮を取り戻すためにモリアップスプレーなんてのも使ったなぁ。

で、月に1度のペースでコケていたっけ。^^!

No.2  MT−5
1年しないうちにシャリーは、追突事故に合い、全損。車体と新品同様のヘルメットとブーツの保障でMT−5を5万円位で買う。
MT−5は、その頃MBX-50やAR-50が出たのだがそれらが発売されるまでは最速だった MB−5のオフロード版。近所の林道を走り回ったなぁ。
 

No.3  AR−125
MT−5に乗り出して間もなく、小型免許を取り、当然の様に125が欲しくなった。
友人は、当時最新のVT−250(初期型)で、毎週日曜日の早朝は、地元の峠に走りに行っていた。
そこで合う人たちは、みんなRZ−250だとか刀だとか、CBX−400でツナギを着てかっこ良かった。
その頃、ツナギは大体みんな黒1色だった。
そんな環境で、RZ−125かAR−125かと選択肢はあったが、後発のARにした。
ロータリーディスクバルブで、独特の音、しっかりした低速トルク。
高3のとき、ARで峠デビューしたが、いままで、みんなみたいに速く走れるわけがないって漠然とした思い込みがあったし、みんなは250cc以上、峠も割りと高速めの峠だったので無理について行こうとしないで、自分の限界を試すときは一人でやっていたので、自分が速いのか遅いのがわからなかった。ただ、バイクの正統派(なんのこっちゃ)でいたいと思っていた。

高校を卒業し、京都の学校へ行った。いつも一緒だった友人とは離れてしまい、一人で峠に行かなければならなくなった。
先の変な思い込み(正統派...)があって、大学に入ってバイクに乗り始めた奴には負けたくないって気持ちだけだった。

下宿には、誰かのRZ−350が置いてあった。その後、いつも一緒に遊んだ宮本さんのバイクだった。

宮本さんに連れられて、オートショップ上賀茂を行きつけのバイク屋にした。
その頃、ARの走行距離は、12000km位だったが、”新車かと思った”ってバイク屋でほめてもらった。それくらい綺麗にして大事にしていた。受験で1週間乗れないときも一週間エンジン掛けなかったら、オイルが下がって次にエンジン掛けた時、シリンダーが傷まないかなぁって心配するくらいだった。
あちこちの峠も教えてもらった。いままで、相手にできないと思っていた250、400バイクと競ったが、負けたことは1度しかなかった。
(ちなみに、それは、刀750で、中山峠の茶店前の上りヘアピン立ち上がり、ARでも2速のとこ)

下宿には、今までスクーターにしか縁のなかった本谷さんって先輩がいたが、連日、楽しそうにバイクについて語る(?)僕の影響を受けたのか急に免許を取ると言い出した。

その先輩が免許を取って、GSX250Eを買った。初めて一緒に走りに行ったとき、僕がちょっとペースをあげたら、コケちゃった。
(申し訳なかったm__m)
その後、本谷先輩は、そっこーGSX-Rを買っちゃった。

その頃、本谷先輩と途中峠に走りに行って、ペースをすこーし上げ始めたとき、コーナー入り口で、まだブレーキは当てるだけしか握っていなかったのにフロントからスリップダウン。ARの後ろを滑っていきながら、ガードレールにぶつかってタンクが上に飛び上がるのが見えた。
”やっちまったい。オレのマシン....”思わずバリバリ伝説の一説が頭に浮かんだ。

その頃、バイク屋では、レースをやっている奴が現れ、仲間内でも”目指せ!4耐”って盛り上がりだした。
僕自身は、高校のときから、サポート役のNo.2、No.3ライダーでもいいからワークスライダになりたいと思っていた。
サーキットにも付いて行ったりして、このくらいのペースでなら自分もレースができそうっと思っていた頃だった。

ARは、レース用にした。
曲がったフロントフォークを交換し、ピストンとリングを交換した。
初めて自分で組んだエンジンがすぐに掛った時は、すごくうれしかった。

その頃、鈴鹿サーキットは、既に月1回スポーツ走行ができればいいほうの状況になりつつあった。夏の4耐にエントリーするにはノービスライセンスが必要。そのためには、3時間だったか5時間かのスポーツ走行が必要だった。鈴鹿で走っていたら、来年出ないとノービスが取れない。じゃあ、みんなで西日本サーキット(美祢サーキット)で合宿しようってことになり、10人くらいで西日本合宿。
みんなは、250ccや400cc僕だけ125cc。
僕自身は、耐久レースには余り興味はなくて、RS−125でレースしてその後、RS−250にステップアップって計画だった。
だから、一緒に行った仲間との競争より、レーサー125の走りの方が気になった。
みんなで一緒に走って、ストレートで離されるけど、すり鉢コーナーの突っ込みでごぼう抜きで前に出る感覚はたまらなかったなぁ。
でも、レーサー125はインベタで更にハイスピードで抜いていく...同じ125ccなのに...って思ってた。
合宿中、雨も降った。雨の中、一度、スロットルが戻らなくなった。すり鉢コーナーの手前だった。死ぬかと思った。
サーキットでは、今まで緩んだことの無いネジが緩んだ。峠とは全開率がぜんぜん違うと感じた。

その後、中山サーキットにもファミリー走行によく行った。1分2,3秒が出た。うれしかった!

その後、一度だけ、鈴鹿のサンデーオートバイレースでプロダクション125が行われた。
おお!ARでレースができる!っと張り切って、BAKUでシングルシートを型から起こして作ってもらい、ワンオフ削りだしスタビ、ワンオフチャンバー、オンオフバックステップと金を掛けた。

テストに中山に行った。あいにく雨だった。もう、セッティングする時間が無いので、無理していた。メインスタンド前の下り突っ込みで転倒。
鈴鹿でのスポーツ走行では、オンオフパーツをたくさん付けているのでみんなが覗き込んでいった。(優越感〜)
でもスポーツ走行で250や400と走るのは抜かれるとき、めちゃめちゃ怖かった!
マッチャンコーナーを全開で伏せて走っていると、250や400がかなりバンクさせて(125のスピードじゃ直立に近い)すっげー勢いでかっ飛んで行く。(ひえ〜離れて走ってくれ〜)自分も、GSR-Rの時はあんなスピードで走っているのか。って感心してしまった。

で、肝心のサンデーオートバイレースは、前夜のバイトが遅くなったが、準備万端整えて寝た。
起きたら、予選が始まっている時間だった。
このレースは、いいとこ行けそうだったので、師匠と師匠の友達が見に行ってくれていたのだが、”おらんかったの〜”って。
申し訳ないです。m__m

その後、鈴鹿でプロダクション125は行われなかった。ガクッ。

高校のときいつも一緒に走っていた、友達と冬休みに中山にいった。
僕は、GSX-Rで、友人にARを貸した。
ARは、真水仕様だったので、サーキットで水を入れた。
ドレンを閉め忘れていた。友人は、焼きついて転倒した。(スマンm__m)

その後、ARはクランク交換(必要は無かったが)するとき、無知だったため、ベアリングを抜くのにケースを暖めすぎクランクケースをオシャカにした。それっきり、エンジンは、ばらばらのままである。
 

No.4  PASOLII
バイク屋に通いだして、付き合い兼実用性からスクーターを購入。
先の宮本先輩が赤色、坂東先輩が白色、僕は、青色にするよう決められた。
今思ってもこのパッソルIIが一番乗りこなせていたのではないかと思う。
信号待ちの車の間をスタンドを擦りながら走り回っていたっけ。
このパッソル君の最後は、山中峠に夜中、3色パッソル+αで攻めに行き(古ぃ〜)、夜明け頃、茶店の駐車場で遊んでて、フローティングターンの練習をしていてフロント大破。そのまま、廃車。
 

GSX-R400
その後、バイク屋での4耐参加計画(5チーム位結成)に組み込まれ、僕がバイクを買うことになった。
RS−125よりも周りの盛り上がりに流されちゃった。
本当は、最新のFZR−400が欲しかったのだけど、3ヶ月待ちってことなので、レースに間に合わない。
で、即納のGSR−Rに決定。(オールローン!&ローン名義は、耐久の相棒(払いは全て僕))

鈴鹿でサーキットライセンスを取り、(講習は、ARで受けた)初のスポーツ走行。
その頃が、マニュアル本のはしりで、ロードレース関係も出ていて、鈴鹿のポイントは押さえていた(つもりだった)。
タイムは、2分51秒。みんなは、3分切れなかった。そして、僕がうれしかったのは、バリ伝のグンちゃんより、速く走れたことだった。
その後、タイムは、伸び悩み、みんながタイムアップしたとき僕だけタイムアップできず、仲間の走行券を売ってもらって走ったとき、タイム伸び悩みのイライラからボーっとして、ダンロップブリッジしたで気がついたらコースアウトして、目の前にクラッシュバリアが迫ってくる!
ブレーキ掛けても効かないよなぁっと思いつつ、そーっとブレーキを掛けた瞬間、スポンジに突っ込んだ。
すぐに立ち上がり、スポンジの下からバイクを見つけ出した。
トホホ...フォークが曲がってる。走行終了後、ピットに帰るため、ピットロードをニュートラルで下っていると、ウオブルが!ハンドルが左右に大きく取られ、危なくピットロードで転倒するところだった。(その時、メインスタンドには、大量の修学旅行生が...あぶねぇ、あぶねぇ)
その年の耐久は、予選通過に5秒くらい足りず、予選落ち。
敗者復活戦のスタートに鳥肌が立ち、なぜが涙を潤ませながら、来年こそは...と誓うのだった。
その年、敗者復活戦で清水国明さんが優勝し、決勝でもいいとこいった。

それから1年間、サンデーオートバイレースが何度かあったが、全て予選落ち...; ;
言い訳なのだが、耐久に向けツナギを造るにあたり、やはりツナギは、老舗の○○○ヤでしょうと注文したが、来ない...TELするとローンの確認がまだ取れていないとのこと。で、納期が間に合うのかと聞くと、”間に合いませんねぇ”おいおい話が違うよ。間に合うっていうからオーダーしたのに。 それで、急遽、吊るしを買うことに、当時は結構白っぽいのが流行で、ミレアってメーカーでかっこいいのがあった。
着てみるとちょっと苦しい。そのうち伸びて、馴染みますよなどと店員に言われて、それにした。それまでは、TAKAIのツーリング2ピースだったので、その延長から考えると伸びなくもないなぁって思ったのだけど、レース用の厚手の皮は伸びなかった。
腰のシャーリングは伸びきり、肩が引きつり、腕が、ふくろはぎがパンパン。GSXーRならまだしも、次の年にはVFR−RKでの耐久チャレンジだったので、めっちゃ苦しかった。

言い訳はさておき、その後GSX−Rは、ヨシムラの集合、バックステップなどで、F-IIIになる。
先の友人が、筑波でスポーツ走行するためにGSX−Rを買ってくれた。
その後、置き場所に困って戻ってきた。つい最近まで、家で眠っていた。オートガレージ山岡の山岡さんが”くれ〜”って言うのであげた。
どうも、レーシングスタンドが目的だったみたいで、エンジンを掛るようにしたり、飾るって話はどこへいったんだぁ〜。
 

パセッタ
以前から、カンチレバーのゴムブーツが気に入っていた。バイク屋に捨ててあったのを拾って治した。
特に乗り回した記憶も無いが、どうしたっけ???

RZ−50
下宿に捨ててあった、RZ-50をゲット。
フルメンテし、カラーリングも赤でキメた!(?)
試にピストンリングを2本にしてみたが、スカスカだった。
3本に戻すこともせず、しばらく乗って捨てた。

SDRその1
実家に帰って、RS-125に感じの近そうなSDRを中古で探した。
タイヤは、17インチなのだけど、リム幅が狭い。何用なのか良くわからないのだけど、プロダクションレース用のタイヤがあったのでずーっと使っていた。
SDRでは、よくこけたなぁ。
プリメーラを買って納車の日、うれしくて急いで車屋に行っていた。
峠を上りきる最終コーナー出口のギャップでウォブル発生。道は完全にストレートなのだけど、ハンドルが大きく右に左に...
ストレートで吹っ飛んだ!
フォークが曲がり、ペダルも折れた。この時、過去最高の怪我を負った。ひざのお皿が少し見えていた。
恥ずかしいのですぐに立ち上がり、再発進。
そのまま車屋へいき、バイクを預けて、新車を受け取って帰った。
次の日には、傷口を医療用の接着剤みたいな包帯で覆って海へ泳ぎに行ったなぁ。
それから、冬にツーリングへ行った時、みぞれが降って、パンツまでずぶぬれになって、体温低下で死にそうになった。
寒すぎると、震えも出なくなるんですねぇ。

その後、このSDRは、TS200、嫁さんのSDRの3台を乗り分ける時期があった。
先日、僕にNSRを売ってくれた友達が欲しいというので、売った。
そのSDRは、ぼーそー族に盗まれ、哀れな姿になったらしい。

TS200
オフも好きなので、車屋に勤める友達から買った。
倒立フォークでかっこ良かったが、フロントが重かった。
オイルシールの交換も面倒だった。
スキー場で行われたエンデューロに出てみたが、火山灰の土地なので事前にエアクリBOX周りに隙間があったので密閉しておいた。
何だかいじったバイクだったらしく、山ではチョークを引いたように吹けなかった。
コースも前夜の大雨でめちゃくちゃ。ぬかるみの坂道は、みんなで交互に押して上がる。もちろん、渋滞で順番待ち。
エンジンが吹けないので早々にリタイヤ。

TSでは、近所の野山を駆け回った。倒木をどかして進んだり、Uターンもできない行き止まり林道に入ったり。
でも、近場の林道も制覇すると、急に面白くなくなった。
モトクロコースにも行ったが、もう、体力がついていかない。
その頃、CR−80でモトクロコースのテーブルトップを飛んで着地に失敗。肋骨が折れたかと思ったが大丈夫だった。でも死ぬほど苦しかった。TSも若い子に貸すと、彼の方が遥かに上手くジャンプ(彼はモトクロライダーだけど)。すっかり、寂しくなる。
で、売っちゃった。

SDRその2
結婚前、嫁さんが、バイクの免許を取った。まったく勧めた訳でもないのに。
で、できるだけ軽いバイクがいい、って言うのでSDRをお勧めした。
当時、とっくに製造中止になっていたが、新古車があった。部分的には錆びも浮いていた...新車なのに...

で、結婚してから嫁さんはまったく乗っていない。自分のSDRを売ってからは、通勤に使っていた。
通勤で、2度ほどこけた。
年取ると、体の柔らかさがなく、体重もかなり増えたので、こけるとすごく痛い。

10年ほど乗った。メーターは16000km。
NSRを買うことになり、2台維持は...。でも嫁さんが買ったバイクだから売るのも...売れもしないだろうし...
っと、思っていると、”ただでも処分すれば...”ってことでバイバイ。

’92NSR250SE(MC21)
友人から、誰かNSR買わないかなぁっと、TEL。
これを逃すと、僕は、一生NSRに乗ることは無いかもしれないと思い。嫁さんを何とか説得して購入。
しかし、これが苦労の始まり。

欲しいバイク
欲しいバイクが2台あった。
1台は、NSR250。
もう一台は、CBR900RR
レプリカが好きなのだ。
いつか、CBR900が手に入ったら、大型免許も取りに行かなくては...