幾度もモデルチェンジしながら刊行され続けた流転の音楽雑誌。ノイバウテンの項で参照したのを 契機に、1985年1月号を読み直してみた。
表紙はジョン・ ライドン。この頃は「Contemporary Musics and Performance」の雑誌を 標榜している (「Musics」って……)。主な内容。
……。マーク・アーモンドのニューアルバム、ジャケット見た途端に思わずふ ふふふふとにやついてしまった。あーマークだぁ、またやってるーて。彼はど んどん綺麗に美しくドラマチックに (!) なってゆく。Tainted Love の頃は マークに似てるねと言われた私だが今じゃどうだかわからない。……。きょう 二見書房のバタイユ著作みたけどオビに浅田彰氏推薦とか書いてあってとても いやーな気持ちになった。あれはひどい。「エロティシズム」の素敵なハコが 台無し。私は神を信じてます。笑いごとなんかじゃないよ。(69ページ)
女性Vo & Dr募集。ベルベット、ニコ、ブリジット・フォンテーヌ、ジャッ クスなどが好き。日本語で自然に歌える人。DrはC・ビーフハートが好きでた まらない人がいいな。(71ページ)
ノイバウテンの "2 x 4" のレビューが印象深かった 他は、どちらかと言えば個人的には退屈な内容である。しかし『フールズ・メ イト』のこの号には特別な意味がある。上には書かなかったけど、実はウィリ アム・バロウズの長文インタビューが載っていて、山形浩生が『バロウズ本』 (1987年) の中でこう書いたのだ。
さて、最近再びW・バロウズの名をあちこちで目にするようになってきた。 昨年の頭からだ。とどのつまりは、流行、というやつなのだが、面白いのが、 今回の流行は、その発端の日付をはっきり指摘できるということだ。その日と は、「フールズ・メイト」一九八五年一月号発売日である。[1]
これは別にその先見性や記念日性を賞賛しているわけではなく、むしろ 「余計なことをしてくれたもんだ」という嘆息混じりの皮肉な批判である。
この号に、Re/Search のバロウズ・インタビュー抄訳が載った。そして、こ のインタビューとその解説が、現在のブームの一つの方向性を決定している。 それはすなわち、オカルティズム的、宗教的にバロウズを捕らえるやりかただ。 教祖バロウズが、その教えたるカット・アップやフォールド・インの技法をイ ンダストリアル・ミュージック系の使徒たちに伝えたという図式。この場合の 特徴は、原典の(教祖の)神秘化である。極端な深読みに基づく、原形をとど めぬまでの(意図的であるなしを問わず)ねじまげ解釈。[2]
で、その「ねじまげ解釈」の例がいくつか採られ、添削されてる。当該イ ンタビューは "RE/Search" #4/5 (1982) から訳載されたもので、三谷理恵訳、 構成・註は Korpus CRYPTE (北村昌士)。確かにかなり楽しめる仕上りで、翻 訳としては信頼できないとしても、読み物としては魅惑のテクストだ。山形浩 生が挙げてない箇所から例を一つ。
──アメリカのハードコア・サヴァイヴァル(蓄積原料、乾燥食品、武器)の ムーヴメントをどう思いますか。
W:私はとてもいいアイデアだと思うよ。しかし問題は自分を乾燥保存 できるかどうかだ、つまり自分自身を守れるかどうかだ。昔防空壕があったの を思い出すな。これからまた大勢の人が作り出すと思うんだ。その時、必要な ものの優先順序は次の通り、1に武器、次にドラッグ、3に道具と抗生物質学 だ。(55ページ)
「自分を乾燥保存できるかどうか」……うむ、それは確かになかなかの大問 題だ。身体をフリーズドライして冷凍睡眠で生き延びて、お湯かけてもらって復 活するってか? それがバロウズ式の「自分自身の守り方」というわけだ。あと わざわざ「ドラッグ」と書くと特別の「クスリ」っぽくて、普通に「薬」と訳し た方が誤解がない (サヴァイヴァルにも麻薬が不可欠、の方がバロウズっぽいと いう配慮であろう)。[3]
このインタビュー翻訳および解説に、バロウズの神秘化・神格化に向けた情 報操作の傾向が読み取れるのは事実だけど、それはさして極端なものじゃなくイ ンパクトには欠ける。『バロウズ本』曰くの「教祖バロウズが、その教えたるカッ ト・アップやフォールド・インの技法をインタストリアル・ミュージック系の使 徒たちに伝えたという図式」も、このインタビューからは読み取れない。
ただ、このインタビューを補足するような形で、秋田昌美の「Musick and Noise」という記事がすぐ後に続いていた。上の図式 (に近いもの) を説いて いるのは、こちらの方である。
70年代後半から現在に到るアンダーグラウンド・ロック・シーンの中で、イ ンダストリアル・ミュージックからノイズ・パフォーマンスへと国際的に展開 した一連の動向がある。今、それらを回顧する時、そこに通底する幾つかの共 通コードの中から、神秘化された二人の名前が現われる。
ウィリアム・S・バロウズとアレイスター・クロウリー。(57ページ)
あるいはこんな記述。
TGの中ではクロウリーとバロウズの両者インクルーエンス[ママ]が巧妙に結び つけられていた。……。インダストリアル・ミュージックのテーマが、現状の 様々なコントロールを音楽の中で描写的に表象化する事であり、人々がいかに 社会的、精神的抑圧状態にあるかを認識せしめる機能をもっていたとするなら ば、バロウズにとってもまた、まずコントロールが問題となったという点で両 者の呼応は示唆的である。(57ページ。「インクルーエンス」は「インフルー エンス」の誤植だろう)。
ここで読めるのは、「インダストリアルな音楽家たちがバロウズを片想い 的に祭り上げ、その技法を音楽に適用した」ということ。別に「教祖バロウズ が誰それに特別な教えを伝授した」なんてことは書いてないのだが、カット・ アップの手法を極めて重要視し、インダストリアル周辺とバロウズとの密接な 関係を明言している。
罪深いと言えば、こちらの秋田の記事の方が罪深いということになるけれど も、『フールズ・メイト』がこうした「図式」を提唱し始めたのは、これが最初 ではない。例えば1982年発行の同誌20号に秋田昌美の「ウィリアム・バロウズの カット・アップ・メソッド」と題する文が載っており、カット・アップについて 延々解説した後で、
T・Gを中心とするインダストリアル一派がバローズのとりわけ詩学的側面に 関心をもっていた事は興味深い事実である。[4]
と、さりげなく註を付けている。
『フールズ・メイト』におけるバロウズのイメージ操作は数年前から着着 と進行していたのであり、この1985年1月号が記念碑的一冊であるとするなら、 それは一介の音楽雑誌がバロウズ本人の言葉を8ページにわたって掲載したと いう快挙のおかげ (これだけ扱いが大きいと、意味まで大きく見える)。この インタビュー抄訳は、あるイメージを一挙に浸透させる役目を果たしたのであ るが、そのイメージ自体は『フールズ・メイト』が発明したものではない。そ の辺りはまた別稿で改めて。
注:
『バロウズ本』(山形浩生・編、北北西SF、1987年)、130ページ。
1985年が「昨年の頭」なのだから、この部分は1986年に書かれている。
"RE/Search", #4/5, 1982, p.27. 原文は、
R/S: What do you think of the hardcore survivalist movement in this country? Stockpiling dried food, weapons ...
WSB: It could be I suppose, a good idea, but then there's the question: You might not be able to get to your stash! [drily] And then you gotta be abel to defend it and all that! I remember we had the bomb shelters, and then that sort of blew over. But I'm sure a lot of people are doing it ...
You have several priorities: your first priority is weapons, second is drugs, third is tools, Antibiotics ...
山形浩生みたいにうまい改訳はできないが、
R/S:我が国のハードコア・サヴァイヴァリストの運動についてどう思います? 乾燥食品とか武器を備蓄するっていう……
WSB:悪くないアイディアだとは思うが、問題もある。せっかくの隠し場 所まで辿り着けないかもしれない! [そっけなく]それから、それを守り切れ なきゃどうにもならんわけだ! 防空壕だとか、そうした類の廃れていったもの を思い出すよ。まあ、備蓄してる人間が沢山いるのは確かだな……。
優先順位というものがある。最優先は武器、二番目が薬、三番目が道具類。抗 生物質も……。