エリック・R・ワトソン編『実録裁判 謀殺:ジョージ・ジョゼフ・スミス事件』

梅田与志郎訳、旺文社文庫、1981年


旺文社文庫は、裁判関連の本を何冊か出していた。この「実録裁判」シリーズは、「Notable British Trials」という、英国の著名な裁判の詳細な研究記録を翻訳したもの。

原著は、
Trial of George Joseph Smith, Eric R. Watson (ed), William Hodge & Company (Notable British Trials), 1922?


600ページの大部分が裁判記録で埋まっている。一字一句ないがしろにせず読み切ることは、あきらめよう。そういう行為は読書の範疇を超えている。それは検察官や弁護士のお仕事である(推理作家の内職にもふさわしいかも知れないな)。

法廷小説というのも結構うっとおしいものであるが、やはり小説は小説であって、実際の裁判記録などに比べると随分読みやすい、ということがよくわかる。小説は小説でも、法廷小説などよりは、ヌーヴォーロマンやニューウェーヴSFの感触に近い。この本から適当に抜粋して、ロブ=グリエやバラードやスラデックもどきを作るのは、さほど難しくもなさそうである。

バラードの愛読書が、JFK暗殺事件の調査報告書である、というのは有名な話。この調査報告書というのがまた尋常な本ではない。


とはいえ、著名な犯罪(者)は、やはり推理小説と縁がある。[1]

この裁判の主人公、ジョージ・ジョゼフ・スミスの名を、ロイ・ヴィカーズの「迷宮課」シリーズの中で見かけたとしても、さほど意外ではない。

迷信は根づよいもので、いまだにひろく信じられているひとつに、女を蠱惑する眼というのがある。ある種の男は、その眼が持つ魔力で、相手の女を自己の意のままにしてしまうというのだ。とりわけ、資産のある女性がとりこになりやすい。浴室で、数多くの花嫁を溺死させたジョセフ・スミスがそれであるし、…… [2]

彼の眼の魔力については、この本の解説でも触れてある。

……スミスの最初の重婚の相手となった花嫁は、次のように彼を説明しているのだ──
「あのひとは女性にたいして異常な力を持っていました。その力は眼にありました。あの人に一、二分見つめられたら、誰だって磁力で引きつけられているような気持になるでしょう。あの人の眼は意志を奪い取ってしまうような小さな眼なのです」(88ページ)


こんな証言もある。

現在コナン・ドイル文書館所蔵のあるジャーナリストの証言によると、有名な「浴槽の花嫁」事件で、かの悪名高い殺人犯スミスを調べるよう警察に忠告したのは、コナン・ドイルとのこと。[3]

この本の中には、コナン・ドイルの関与に言及した箇所は見当たらないようである。


この裁判では、検察側の証人は100人以上証言している(弁護側は証人ゼロ)。結婚登録所長代理、アパートの大家、法律事務所の共同経営者、指物師、煙草屋、銀行の支店長、ロンドン警視庁の警部、葬儀屋、その他さまざまな人間が登場する。

中でも興味深いのは、溺死した女性たちを検死した医師たちや検死官への尋問。

──さて、仮に一人の人間が失神したとします。失神に襲われたわけです、入浴中に。失神している間、呼吸は続きますか?
──ある程度までは──ごくわずかな呼吸です。
──その結果はどうなるか、何なりとお考えをお聞かせ願えませんか、もし沈んだ場合にです──失神中、顔が沈んでいる場合、という意味ですが、水は口の中へ流れこみますか?
──ええ、そして気管の中へ入りこむでしょう。
──そのためにどうなります?
──非常に強力な、痛烈な痛みを引き起こします。その結果おそらくその人間を失神から回復させるでしょうね。
──それはまたなぜです? どうしてそうなるのです?
──何らかの物質が、液体であれ固体であれ、気管に存在しますと、体と神経組織にきわめて強力な刺激を与えます。 (400〜401ページ)

裁判が行われたのは1915年である。クロフツやクリスティーが登場し始める頃。


1915年8月13日、死刑が執行された(絞首刑)。逮捕されてから、わずか7カ月後(控訴は棄却)。


注:
  1. コリン・デクスターの『森を抜ける道』(大庭忠男訳、ハヤカワ・ミステリ、1993年)には、
    「若いモデルを殺し、二週間にわたってその肉をむさぼり食った」日本人への言及がある。
    54ページ参照。
  2. ロイ・ヴィカーズ「9ポンドの殺人」。
    『百万に一つの偶然』、宇野利泰訳(ハヤカワ・ミステリ、1962年)、247ページ。
  3. ウィリアム・S・ベアリング-グールド「二人の医師と一人の探偵」小池滋訳、『詳注版 シャーロック・ホームズ全集 1』(ちくま文庫、1997年)、43-4ページ。

    コナン・ドイルは警察から捜査協力を依頼されることもあった。一方で、無実と思われる被疑者の弁護に深く関わってもいる。ドイルの活躍が結果的には効を奏した事件として知られる「オスカー・スレイター事件」の裁判の模様が、この「実録裁判」シリーズの別の巻に収録されている。参照:『目撃者:オスカー・スレイター事件』(大久保博訳、旺文社文庫、上下、1981年)。


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Last Modified : Sep 30, 1999