第13代チェス世界チャンピオン、ガルリ・カスパロフの、1995年から1997年にかけての3つの闘いを描くドキュメント。
著者の一人、ミハイル・ホダルコフスキーはカスパロフの友人にしてアドバイザー。IBMの「ディープ・ブルー」との対戦にもカスパロフ側の一員として参加した。もう一人のシャムコヴィッチは、チェスの国際グランドマスター。二人ともソ連から米国への移住者。
原題その他は、
Michael Khodarkovsky and Leonid Shamkovich, A New Era, Ballantine Books, 1997.
著者は二人ともチェスの専門家であり、原題の「A New Era」も「チェスの新時代」の謂で、ほぼ完全にチェスの本である。それがチェス・ファンでない人間の興味も引いてしまうのは、カスパロフがコンピュータに負けてしまったからだ。
この本を読むまで知らなかったのだが、カスパロフとディープ・ブルーは二度対戦し、一度目はカスパロフが勝っている(3勝1敗2分)。その試合もある程度の話題にはなったようである。コンピュータが世界チャンピオンを相手に1勝した、というのは一種の事件ではあったのだから。[1]
一九九六年二月十日は歴史的な日となった。それは史上最強の人間の世界チャンピオンが初めてスーパーコンピューターと対戦したというばかりでなく、その日コンピューターがチャンピオンを打ち負かしたからである。それはコンピューター技術者にとっては偉業を成し遂げた日であったが、おおかたのチェスファンにとっては落胆を感じた日だった(162ページ)。
とはいえ、その程度では業界関係者以外をも巻き込む大事件にはならない。最初の対戦の主催者はACM(Association for Computing Machinery)で、ACMは1970年からコンピュータ・チェス選手権を開催しており、この対戦も科学的実験としての色彩が濃厚だった。カスパロフは「私にとってこの対戦は、競技というよりもむしろ人間の能力の探求だった」(10ページ)と回顧。
二度目の対戦では、IBM自身がスポンサーになった。チェスの人気を盛り上げたいというカスパロフの思惑と、自社の株を上げる絶好のチャンスと捉えるIBMの思惑が合致、IBMのプロモーションの成果もあってか、
再戦は全世界規模のメディア・イベントとなった。その当日、全米にネットワークを持つ大手のテレビ局のすべて──ABC、CBS、NBC、そしてCNN──が、マンハッタンのエキダブル・ビルディング十五階に設けられたプレスルームに入り込んでいた。世界の主要国を代表する報道機関も詰めかけ、特派員用の電話やコンピューターがずらりと並び、インターネットへもアクセスできるようになっていた(226ページ)。
ディープ・ブルーが勝ち、IBMも勝った [2]。
IBMの技術者たちは1990年にこんな予言をしている。
私たちのシステムは、処理速度の向上だけで名人に挑戦するに十分な強さになるであろうと信じている。他に計画している改良項目の長いリストを加えれば、1992年には、この機械を世界に君臨させることができるだろう。[3]
ディープ・ブルーの先祖にあたる「ディープ・ソート」がコンピュータ・チェスの王者として名を馳せていた頃の話。ディープ・ソートも1989年にカスパロフと対戦しているが、勝負にならなかった。
そのディープ・ソートの処理速度を数百倍に高め、「過去百年間すべての公式試合で使われた序盤のデータベース」(152ページ)と終盤のデータベースを組み込み、カスパロフの過去のすべての対局(1300程度らしい)を分析し、幾人かのグランドマスターの協力を仰いで盤面評価アルゴリズムに磨きをかけ、ほぼ「対カスパロフ専用マシン」として作り上げられたのが、ディープ・ブルー。
1990年の予言は、こう結ばれる。
盤越しに2つの意見が衝突したとき、極めて才能に恵まれた1人の天才と、数代にわたる数学者、エンジニアの共同作とが対決することになる。この結果は、機械が思考力を持つか否かということではなく、むしろ、人間の集団的な努力が、最も才能のある個人が到達した最高の芸に勝るかどうかを明らかにしてくれるものと、私たちは思う。[4]
こうまでしなければ「極めて才能に恵まれた1人の天才」に勝つことができないのか、と考えると、天才の偉さというものがよくわかる。
「人間対機械」のチェスの対戦、ということで思い出すのは、フリッツ・ライバーの中編「六十四こまの気違い屋敷」。「コンピューターがはじめて参加する国際チェス名人戦」を描いたもの。書かれたのは1962年頃のはずで [5]、当時はまだ人間とまともに戦えるチェス・プログラムは存在しなかった。[6]
「……。ところで、この大会のめんどうは、ワールド・ビジネス・マシーンズがみるんでしょう?」
「そのとおりです。WBMの宣伝部門が、なんとか名前をあげようとしているんですよ。ライバル会社に、すこしでも差をつけたいんでしょうね」
「でも、もしマシーンの成績がわるかったら、かえってみっともないことになるんじゃないかしら」
「たしかにね」ドクは静かにうなずいた。「WBMにも、おそらくそれなりの……とにかく、WBMが用意した資金で、世界の最高の指し手がここに集まったのは事実ですよ。……」[7]
IBMならぬ「WBM」が設計した機械が登場する。この「マシーン」とディープ・ブルーを比較してみよう。
| マシーン | ディープ・ブルー | |
| 製造年 | 1962年頃 | 1995年頃 |
| 製造者 | WBM (World Business Machines) | IBM |
| ハードウェア | 謎 「新しいトランジスターと、超高速度回路とかいうもの」 「いくつかの部分を、絶対零度に近い温度にしておいてやる必要」 | IBM RS/6000 SP-2 (IBM RISC System/6000 Scalable POWER parallel System) 256個のチェス専用プロセッサが平行して稼働 |
| 計算能力 | 100万局面/秒程度? | 1億局面/秒 (再戦 2億局面/秒) |
| 読み手の深さ | 10手 | 14手 |
| 賞金 | 総額35000ドル 優勝者15000ドル | 勝者40万ドル/敗者10万ドル (再戦 勝者70万ドル/敗者40万ドル) |
| ルール |
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| 成績 | 読んでのお楽しみ | 1勝3敗2分 (再戦 2勝1敗3分) |
| その他 | 本体が試合会場に鎮座。 本体付属のレバーを操作して入力 | 試合会場のPCと電話線で繋がる (本体はニューヨークのIBMワトソン研究センターにある) |
| Machine | Deep Blue |
ライバーは予言者ではないが、「六十四こまの気違い屋敷」の中には予言的に映る箇所がいくつもある。
「マシーンのプログラミングを担当したっていうサイモン・グレートだけど、きっとえらい物理学者なんでしょうね」
「そうじゃないんです。初期のころの、チェスを指すコンピューターの問題点はそこのところでしてね。以前のはみんな、プログラミングは科学者がやったんです。ところが、サイモン・グレートは心理学者で、しかも一時は、世界チェス・チャンピオンの有力候補だったんですよ。プログラミングの仕事に彼をひっぱったWBMは、じつに利口だったと思いますね。……」[8]
ディープ・ブルーのチームには心理学者はいなかった(カスパロフとの対戦成績が1戦1引き分けの元全米チャンピオンのグランドマスターはいる)が、試合を観戦していたカスパロフの母親の印象では、
「……ガルリは今、スーパーコンピューターと戦っているだけでなく、心理戦を仕掛けてくるよく組織された資本主義制度とも戦っているんだわ」(257ページ)。
念のために付け加えると、カスパロフは「しっかり組織されたソヴィエトの官僚制度とも」(257ページ)戦ったことがある。
●「マシーン」の戦いぶりに接したライバーの作中人物(グランドマスター)の述懐。
「……。われわれはいま、天才と機械とがほぼつり合っているという、つかのまのバランスのとれた時期にいるんでしょうな。それを考えると、悲しい気持になるんですが、その一方で、グランドマスターのチェスが死んでしまうときに居合わせているのだと思えば、これは余り健康的な感じ方ではないけれども、いささか誇らしい気分にもなるんですよ」[9]
■ディープ・ブルーとの一回目の対戦を前にしたカスパロフの冗談。
「いずれにせよ、この期に及んで何ができる?」とガルリは言った。「対局してみるしかないじゃないか。ひょっとしたら四○万ドルの大金をただでくれるつもりかもしれないよ。さもなくば、君たちは最後の人間のチャンピオンを目の当たりにする光栄に浴するというわけさ」(150ページ)。
●ライバーの作中人物の、大会終了後の述懐。
「……。これからは、ひとつでも複数でも、コンピューターが参加しないグランドマスターのチェスなんて、およそ気のぬけたものになるだろうな」[10]
■再戦後の記者会見でのカスパロフのコメント。
……今後ディープ・ブルーはグランドマスター・トーナメントに出場し、人間と同じように世界選手権戦に出場すべく本格的な努力をするべきだ……(281ページ)。
カスパロフは3度目の対戦を望んでいるらしい。さて、ディープ・ブルーは今後もチェスを続ける気があるのだろうか。IBMが「こんなこともできるんですよ」と言っている例を見ると、
「NASAやCERNやオリンピックでも使われてます」って景気のいい話もあるのだが [11]、ディープ・ブルーの将来が少々心配になってくる……。[12]
注:
「グリーンブラットのプログラムは、高度な人工知能技術を、彼の目から見て本物のチェスだといえる基準に従った指し手を考え出すために使っていた。……。一週間で彼はプログラムが実際にチェスをするところまでこぎつけた。プログラムはデバッグされ、目玉的特徴を付け加えられ、数か月に渡って総体的にアップグレードされた……」(スティーブン・レビー『ハッカーズ』古橋芳恵+松田信子訳、工学社、1987年、101ページ)。
「チェス・プログラムは10歳の子供にも勝てない」と書いて人工知能研究を批判した哲学者ヒューバート・ドレイファスと1967年に対戦し、熱戦の末に勝利することになる。