今となっては珍しいのかもしれない、ユークリッド的平面幾何学の体系的実習書。
無定義語若干、定義10個、公理8個、定理140個以上(証明付き)、例題多数、練習問題いくつか。
時代錯誤とも思えるこの本が刊行されたのは1985年だけど、著者のユークリッド幾何学への思い入れと、初等教育に抽象数学を導入することへの不信はかなり根深い。
まずは1968年にこんなことを書いている。
……ユークリッド幾何では明らかに自明な公理から出発して順次に自明でない複雑な定理が証明されていく。子供にも公理的構成の意義がよくわかると思う。歴史的発展の順序から考えても、ユークリッド幾何はもっとも初等的な数学であって、子供にとってもっともわかり易い数学である。また、十八世紀およびそれ以前においては、ユークリッド幾何がただ一つの公理的に構成された理論体系であった。だから私は子供に公理的構成の考えを教える材料はユークリッド幾何に限ると思うのである。 [1]
1979年にはこう書いている。
近年ユークリッド平面幾何は数学の初等教育からほとんど追放されてしまったが、それによって失われたものは普通に考えられているよりもはるかに大きいのではないかと思う。 [2]
1981年にはこう言っている。
昔われわれは平面幾何で論理を学んだんですが、幾何でないと論理を教えてもだめなんじゃないかしら。代数なんか材料にして論理を教えようと思っても材料があんまり単純でしょう。 [3]
こうした強迫観念的執着から生まれたのがこの本。
ユークリッド幾何学の退場によって失われたものを復活させようとする試みだ。[4]
小平の嘆きの種である現代化/抽象化された算数教育の例が、トム・デミジョンの小説『黒いアリス』(1968)に見られる。幸か不幸か、そこに登場する11歳の少女はそれを楽しんでるんだけど。
小平の数学観を窺い知ることのできる喩え話。
この辺の事情を説明するために次のような状況を想定して見よう。殆んど全部の人間が色盲で、極めて少数の人間だけが未発達な色彩感覚をもっているとする(猫は色盲であると言われるが、人間もその進化の過程がもう少し違っていたならば、このような事態もあり得たであろう)。そしてこの少数の人間が色彩画家とでも称する集団をつくって色彩のある絵をかくとしよう。この絵は勿論大部分の人間には分らないし、また色彩画家どうしの間でも、辛じて色を判別できる程度の色彩感覚しかもち合わせていないから、よほど努力しなければ分らない。ここが赤らしいからこの隣りは論理的に考えて青ではなかろうか、というような調子になるであろう。
私はわれわれ数学者の現状はこのようなものであろうと思うのである。 [5]
数学者とは、数学的存在を捉えるための感覚(「数覚」)が相対的に優れた人間のことなのである。この「数覚」という概念は小平の非常なお気に入りで、ユークリッド幾何学への嗜好もそれと無縁ではない。
殊に平面幾何には実際に紙の上に描かれた図形に見られる現象を説明する自然科学という面があった(「はじめに」、vii)。
感覚に訴える現象としての側面へのこだわり。経験や訓練次第で数覚はある程度発達するものらしいから、そのための材料として平面幾何学は貴重。
上でも頻繁に参照した『怠け数学者の記』には他にも面白い話がいくつも載っている。
仮に今から百万年前に宇宙人が地球を占領して人間を奴隷にし、複雑な計算をさせるために人間の中から暗算の上手なものだけを選んで人工交配(ここの「人」はもちろん宇宙人の「人」である)を繰返したとすれば、人間の脳髄の能力は数の計算においてもすでに電子計算機を凌駕していたであろう。 [6]
いやはや。「宇宙人が地球を占領して人間を奴隷にし……」なんて、SFファンを泣かせる発想だ。しかも品種改良して計算奴隷 [7] に使うってんだからすごい(さすがの宇宙人も遺伝子組み換え技術には疎いらしい)。「数覚」は生存には無用のものなので、自然な進化に任せていては劇的な発達は見込めないのである。とは言うものの、計算人間を作るのとスーパーコンピュータを作るのと、宇宙人にとってどちらが経済的なんだろうか。
飯高 なるほど。そのころはかなり戦争のひどい時代ですが、その中で先生はずっと数学の論文を書かれていた。戦争中でも外国の数学の雑誌はだいたい順調にきていたのでしょうか。
小平 いや、ぜんぜんこなかったですね。ただ一つの例外はハイゼンベルクのS行列の論文。僕は最近まで知らなかったのですが、去年みすず書房から出た『回想の朝永振一郎』の山口嘉夫さんのスピーチによると、この論文は戦争中ドイツから潜水艦で運んだのだそうです。そのマル秘の論文が朝永先生のところにいって、それを終戦の翌年、僕の研究室の物理のゼミで勉強した。 [8]
潜水艦で。ハイゼンベルクのS行列の論文の発表は1943年なので、それ以降の話ということになる。「レーダー用のマイクロ波技術を開発するために帝国海軍に雇われ」[9] ていたという朝永のリクエストが通って、運んでもらえたのか?(『回想の朝永振一郎』を読めばわかるかも)
注:
現代語では '必要かつ十分である' というが、旧制中学の雰囲気を出すために '必要にして十分である' ということにする(43ページ註)。
という箇所等に明らかである。ちなみに、この本の刊行時、小平邦彦は70歳。