狂沢瞬『大宇宙の屍・完全復刻版』

書肆幻象、1999年



1938年に刊行された空想科学小説の復刻版。
元々『くらいむ』という雑誌に載ったもの。誌名から想像されるとおり、探偵小説でもある。



1938年というと、フランスでサルトルが嘔吐し、ドイツではウランが核分裂するかもしれず、アメリカに火星人が来襲した年である。[1]
日本はどうだった?

井上晴樹『日本ロボット創世記』によれば、

わが国でもこの年の四月に國家總動員法が施行され、もうどのような意味からもロボットどころではなくなってしまった。それでも例外的に海野十三は、この年の十二月に発行された「子供のテキスト」昭和十四年一月号に「人造人間エフ氏」の連載第一回を発表し、このあともロボットものを発表し続けるということはあるものの、ここで戦前の多方面にわたった日本のロボット状況にひとまず幕引きがなされたといっていい。 [2]

他、前年に翻訳されたリラダンの『未来のイヴ』が岩波文庫に入ったりしている。

『日本ロボット創世記』は、1920年から1938年までの出版物を渉猟し、日本における「ロボット(的なるもの)」の受容史を描いた良い本。「1938年まで」ってことで、ちょっと期待したが、残念ながら『大宇宙の屍』についての記述はない。人工知能みたいなものや、産業ロボットみたいなものが登場して結構活躍してるんだけど。[3]


「ウラシマ効果」という言葉が最初に用いられた作品である、という話をどこかで聞いたような気がするのだが、ざっと読んだ限りでは、まだ見つけることができていない。こういう時、「電子テクスト版もあればなあ、一発で検索できるのに」と贅沢なことを思う。[4]

作中、何箇所か欠落部分があって、これが作者の意図なのか、ディックの『テレポートされざる者』のような意図せざる欠落なのか、実は「不完全復刻版」なのか、単なる落丁なのか、いずれとも判断つきかねるんだけど、もしかしたら、この欠落部分の中に「ウラシマ効果」が登場しているのかもしれない。

”ウラシマ効果”とは、物体の運動速度が光の速度に近づくにつれ、時間の進みが遅れはじめる……というアインシュタインの相対性原理が記述する現象のことで、「宇宙塵」の主宰者柴野拓美(小隅黎)の作った言葉です。[5]

という話もあるので、この本の中に「ウラシマ効果」が出てくれば、SF史を書き換えるような事件だったりするのである。あ、「狂沢瞬=柴野拓美=小隅黎」という等式が成立すれば、うまく収まるか(こっちの方が事件性がでかいかも)。いずれにしても、歴史は書き換えられるな。



「ウラシマ効果」は見つけられなかったけれど、「不確定関係」や「相反補足性」が見つかった。主人公は天才だから、相対論的量子力学や量子電磁力学もお手のもの。ううむ、これはすごい。今だって、量子電磁力学を自由自在に扱えるSF作家はあまり多くないぞ。作者は「和製フレッド・ホイル」か? それとも「和製バリントン・ベイリー」なのか?

ネタの一つかもしれない、と思われるものはある。1936年から1937年にかけて『日本数学物理学会誌』に3回連載された、天野清の「量子論解釈の変遷と其文献」という論文。1938年時点において、ハイゼンベルクやシュレディンガーやボーアやフォン・ノイマンやディラックらの諸説について系統的に読むことのできる高水準な日本語の文献、というのは存在したのである。

以上のごとき解明分析を経るならば「量子力学の最も興味ある問題」とも称せられる「波堆の収縮 Reduktion der Wellenpakete」も了解に難くないであろう。すでに以前に波動函数の解釈の箇所……で述べたとおり、測定は瞬間にして(超光速度をもって)波動函数を収縮せしめる。それがエネルギーの伝達をともなう物理的過程でありえないことはかつて述べたとおりである。いまやその意味は完全に明らかとなる。 [6]

というような文章を、作者は利用することができた(実際に利用したかどうかはともかく)。

ついでに、天野清の記述の中に「シュレディンガーの猫」を探そうとしているのだが、まだ観測されておらず、こちらの方の歴史は変わっていない。



注:
  1. 火星人の来襲については、『火星からの侵入』を参照。
  2. 井上晴樹『日本ロボット創世記』(NTT出版、1993年)、348ページ。
  3. 『日本ロボット創世記』は、ヒューマノイド型ロボットへの偏愛に満ちた本なので、仕方ないかも。
    とはいえ、293ページには、電気羊ならぬ「電氣牛」の写真がある。
  4. うれしいことに、電子テクスト化する試みが進行中のようである。
  5. 野田昌宏『宇宙を空想してきた人々』(日本放送出版協会、1998年)、123ページ。
    NHK人間大学のテクスト。
  6. 天野清『量子力学史』(中央公論社、1973年)、229ページ。
    「自然選書」の一冊。「量子論解釈の変遷と其文献」を元に死後刊行された『量子力学史』(天野清選集 I、日本科学社、1948年)のリプリント。元論文や自筆原稿と照らし合わせ、再編集がなされている。

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Last Modified : Jul 31, 1999