「備後府中 首無地蔵菩薩」>宗教>布教>地蔵だより
| 回 | 掲載年月日 | 表 題 |
|---|---|---|
| 平成 8年11月 | 首無地蔵秋季大祭 | |
| 平成 9年 5月 | 首無地蔵20周年大祭 | |
| 1 | 平成 9年12月15日 | 秋の大祭 |
| 2 | 平成10年 1月11日 | 正月の賑(ニギ)わい |
| 3 | 平成10年 1月25日 | 平成10年初の月例祭 |
| 4 | 平成10年 2月 9日 | 地蔵発掘者東寿勇氏の逝去 |
| 5 | 平成10年 3月10日 | [霊験談]奇蹟を起す信じる力 |
| 6 | 平成10年 4月30日 | 首無地蔵資料室開設 |
| 平成10年5月18日 | 首無地蔵21周年記念大祭 | |
| 平成10年11月 | 首無地蔵平成10年11月18日 秋の大祭首 | |
| 平成12年5月30日 | 宗教法人首無地蔵菩薩の代表世話人杉原茂氏逝去 |
文責:杉原
首無地蔵菩薩祭祀19周年の秋の大祭(平成8年11月18日)が、午前8時より始る。
安養寺住職(2人)及び栄明寺住職の護摩法要(ごまほうよう)の読経が終り、護摩木に火がつく9時頃、続々と参拝者が境内を埋め礼拝堂に満ち溢れる。
信者のもろもろの願いを書いた木ふだを、住職が拝み、氏名を読み上げ、護摩壇の火に投ぜられると紅蓮の炎となって天井高く燃え上がる。般若心経を唱える声と、太鼓の音が相和して、礼拝堂内は荘厳なふんい気に包まれる。
地蔵堂前の大香炉に次々に立てられる線香の香煙はもうもうと立ち登り、地蔵本堂の周辺は打鳴らす鉦の音、礼拝する人、御地蔵にさわる人々でごったがえしている。
当日の護摩木の受付所には、護摩木に記名する人の列ができ、今年の厄を払い、来る年の幸運を願う厄除大根煮の接待所は黒山の人だかりであり、皿に載せた大根と油揚げを舌づつみを打ちつつ食している。お菓子の接待所にも列がつづき、テレビのカメラマンや新聞記者が忙しく写真を撮って回る。
護摩法要は午前、午後と2回にわたって行われ、午前10時の時点で駐車場にはバス、マイカーが200台余を数え、参道の坂道は土産物店や露天商が並び道一杯に参拝の人波で埋る。宗務所の受付けでは、首無地蔵タオル、おふだ、お守りなどを求める人が続いた。
中国、近畿、四国、山陰、九州と全国より1万人近い参拝者で終日賑わった。
首無地蔵が発掘祭祀されてより、20年の歳月を閲(けみ)しました。この間お地蔵の霊姿を拝する者、御声(みこえ)を聞く人が続出し、お蔭を貰われた人は枚挙(まいきょ)にいとまがありません。 年間の参拝者は西日本を中心に、40〜50万人を数え、一日中線香の火の絶えることがありません。
平成9年5月18日午前7時より既に宗務所に奉納する人が現れ始め、1日の熱気を予感しましたが、8時過ぎてからは、地蔵境内は人の波で埋り、ごったがえし始めました。ゴマ法要が始ると、礼拝堂は一杯で、御地蔵に香を供えんとする人の列が続き、ゴマ木受付所、茶菓やお神酒(みき)の接待所、なかんづく特別記念品の地蔵像のついた金メッキのペンダント渡し所には人々が殺到し、延々と列が並びペンダントは11時頃には無くなってしまい、貰えなかった人々は残念そうでした。何しろ1万人の予想が1万5千人を超えたので記念品が足らないのも無理からぬことでした。
マイカーの駐車場200台分は確保していましたが、駐車場に到達するまでに府中市街1500mにわたり車の列がのろのろと続き、参拝までに30分〜40分を要したと苦情が聞かれるほど一日中大混雑をしました。山陰から、四国から近畿から車のナンバーが見られました。
当日の記念事業として鐘楼の建立、府中市への寄付も致しました。
首無地蔵(クビナシジゾウ)の折々のニュースを今後お届け致します。
恒例の秋の大祭を11月18日催しました。当日はゴマ(護摩)法要を行いますので、参拝者は真っ先にゴマ木の受け付けに立ち寄り、忽ち黒山の人だかりとなりました。
無病息災や、病気平癒(ビョウキヘイユ)、受験合格、良縁成就(リョウエンジョウジュ)など、それぞれ願いをこめたゴマ木を、半年前から納められたゴマ木と共に約3千本を、ゴマ壇に供え、火をつけ、3人の僧侶の読経と共に、一本一本読み上げて火の中に投じます。
ゴマの火は高い炎となって、皆さんの願いがお地蔵様の所に届くが如く燃え上がります。
般若心経の声が流れ、太鼓が打鳴らされ、礼拝堂の中は荘厳なふんい気に満ち溢れ、見守る参拝者の顔も真剣です。
この日は、厄除(ヤクヨ)け大根煮の接待も行いました。今年の厄を払い来年は幸運の年でありますようにと、厚手の切大根と油揚を平皿に盛ったのを、参拝者は手にし、ふうふう冷しながらおいしそうに食べておられました。2500食用意しましたが、昼前にはなくなりました。厄除大根煮は、首無地蔵の名物となっております。
この側には、平成9年5月に完成した鐘楼が建っております。鎌倉時代様式の堂々たる釣り鐘堂で、広島県内には他に無く、全国でも珍しく、鐘のひびきもよろしく、参拝者が次々と撞(ツ)いておられます。
マスコミの取材も相次ぎ、終日一万人近い善男善女で賑(ニギ)わいました。
広島県府中市の人口は次第に減少傾向にありますが、商店街の活性化の一助として、府中市街を通る市外からの参拝者に、豚汁や茶菓の接待をして盛上げておりました。辻町の観音さんも賑わいを見せておりました。
平成9年の大晦日(オオミソカ)の夜、5月に竣工した鎌倉時代様式の鐘楼の台上は、八つ尾山の風が吹き抜け、底冷えがする。
初めての「除夜の鐘」は午後11時より開始。正月の参拝者は午前0時から増えるので、それまで地蔵役員が交替で打ち鳴らす。お地蔵さんの鐘は音色がとても良いという参拝者の声の通り、内にこもり殷々(インイン)と明りの点(トモ)った府中市街に次々と響きわたる。
三原市から参った学生らしい若者3人が先ず撞(ツ)き、ちらほら見え始めた参拝者が次々と鐘を撞く。
日本でも珍しい建築の、堂々たる首無地蔵の鐘の音は、平成9年の諸々の煩悩(ボンノウ)を打ち消すごとく、新らしき年への希望をこめて、午前0時すぎ、百八つの鐘を打ち終える。
この頃になると参拝者はどっと増え、大香炉の周辺は人で埋り、香煙がもうもうと立ちこめる。
1月1日は一日中あいにくの雨であったが、参拝者は終日途絶えることなく賑(ニギ)わった。 2日、3日は好天にめぐまれ、昨年通りの人出で、境内はごったがえした。
参拝者は洗心泉で手を清め、接待の御神酒(オミキ)で体を暖め、香を焚(タ)き、地蔵堂で本年の無病息災(ムビョウソクサイ)や幸運を祈っている。
地蔵堂の横では斎灯木(サイトウギ)が赤々と燃え周囲を囲んで参拝者が、冷えた体を暖めつつ談笑している。
側の鐘楼では絶え間なく次々と鐘を打ち鳴らしている。
受付けでは、古いお札(フダ)を返し、新しいお札、護摩(ゴマ)木などを求める人の列が続いている。
境内は活気があふれ、門前の参道売店は正月をあてこみ、正月菓子や品を店一杯に並べ参拝客を呼込んでいる。
どこの寺社も正月3ケ日で人が絶えるが、首無地蔵は1週間続く。本年の正月参拝者数は約3万人であった。
1月18日、平成8年最初の月例祭である。朝から正午まで冷たい雨が降り続いたので参拝者は少ないと予想したが、年初と日曜日のせいか、10時頃のピーク時には境内は雨傘の列が続き、傘で一杯となる。
出口変電所前の地蔵駐車場(38台)、府中公園駐車場及び借地駐車場はどこも満杯で混雑していた。
地図_首無地蔵参拝者用駐車場
信者は恒例のお神酒(みき)の接待所で次々と酒の接待を受け、僧侶の読経する側を通り、地蔵堂にて焼香(しょうこう)、祈祷(きとう)する。香煙はもうもうと立ちこめている。
終って鐘楼(しょうろう)に登り、梵鐘(ぼんしょう)を打ち鳴らす。鐘の音は間断無く雨の中を響(ひび)きわたった。帰りは銘々(めいめい)、接待のお菓子を受て退出する。本日の参拝者は約4000人である。
香川県山本町よりバス1台の参拝客等があり、露天商の大判焼(ドラ焼き)や、たこ焼きに人だかりがしていた。
昭和52(1977)年5月18に首無地蔵を発掘祭祀された東寿勇氏が、平成10年1月29日午後5時45分永眠された。享年91歳。
生前、名前を寿男で通されたが戸籍上は寿勇が正しい。
地蔵発掘前、3年間位、足のつまづきがもとで倒れ、足を病んでおられた。巡礼に出る前に急に臑(すね)に水が溜りはじめ腫(は)れてきた。外科医は足の切断を宣告したが、切るのがいやで、東氏は別の医師に、注射針で水を抜いてもらっていた。40日で退院し、通院中、友人が岡山県笠岡市沖のミニ88ヶ所神島(こうのしま)巡拝に誘った。足は完全に治っていないので戸惑ったが、激励された参加した。難渋(なんじゅう)しながらも2日間の巡礼を無事終えて帰った。
翌日、普通ならば悪化する筈(はず)なのに逆に痛みもなく治っていた。
それ以来、お礼の神島巡礼や、四国霊場巡りを行っていた。
そうした生活の中で、5月18日の未明、お地蔵様が夢枕に立たれた。
発掘場所が、自分の耕している畑の中であり、永年埋(うも)れていたお地蔵が、衆生済度(しゅじょうさいど)の気運が生じて、東氏の手を借りて世上に現れ給(たも)うたと解釈できる。
地中で蓄えられた霊力は、現世出現と同時に爆発的なエネルギーとなり、難病で苦しんでいた人々が、石像に触れることにより次々と癒(いや)される奇跡が続出し始めた。
一方、発掘した東氏は当時69歳であったが、憑依(ひょうい)現象が起きて、しばらく苦しまれたが、間もなく解消。祭祀用の須屋(すや)を、場所がなくて公道上に置いたため、付近の地主や市民の反対にあい、やっかみや妬(ねた)み、欲望が渦巻き、草創期の受難が始った。
近所の9軒で世話をはじめてより、地蔵土地の購入、須屋、礼拝堂などの新築移転、宗教法人の登録など2年をかけて完了し、お地蔵様は落ち着かれた。
テレビ、新聞が毎月取上げ報道され全国にその名は知れ渡り、現在でも、年間40万人前後の参拝者が絶えず、境内は一日中香煙が絶えず、平成9年完成した鎌倉時代様式の鐘楼の鐘の音は、日中(ひなか)ひびき渡っている。
......あたかも東寿勇氏の霊をなぐさめたたえるがごとく......
葬儀は平成10年1月31日午後2時より府中市公益社会館にて潮音寺(禅宗)住職久我導師のもとで行われた。
最近の素晴しい首無地蔵尊の霊験談をお知らせ致します。
(愛知県犬山市)美容院・a女(39才)
先日は、突然お伺いして、お茶まで頂き、本当にありがとうございました。k尼さんと二人で出かけるのが初めてで、まさか秋の大祭(平成9年11月18日)とは思わず日を決めたので、それもお地蔵様のお蔭と思っております。
先日、(世話人の)s様より体験談をぜひと言われ、お客様にお聞きして、お許しが出たので本日書いている次第です。
私は母と小さな美容室をやっております。k尼さんとのご縁は、古くからのお客様とのご縁により母の病気の時で(平成3年3月19日)、それは、私の美容学校時代の友人の命日でした。色々な事でお世話になり、私もまがりなりにも仏様のお手伝いが出来るようになっていた頃です。自分に自信がなく不安を抱いていた時、k尼さんより「なたのお店には髪だけでなく。心も体も病んでいる方がきっと色々な形でお見えになるから...」とお地蔵様のタオルを頂きました。
初めは自分の家で使用していたのですが、よく考えたら私にはお店にみえるお客様の髪を切るだけでなく、幸せになって頂かなくてはと思い、お店に持っていく事にしたのです。お店の近所でお世話になている方が、4ヶ月近くも家から出られず毎日医者通いをしてみえたので、少しでも楽にして上げられたらと思いお店が暇になるのを待っていたところ、なんと
「今日はとても気分が良く、急に髪が切りたくなった。」と、自分で歩いてみえたのです。
私はびっくりして、きっと、お地蔵様が呼んだのだと思いました。体をさすってあげたところ、その翌日から毎日のように、近所の方と楽しく家の前の喫茶店でコーヒーを飲んでみえるのです。
我が家の息子が、39度7分も熱があった時も、お地蔵様のタオルを体に巻いてやったところ。ものの30分で平熱になり、主人は3日程、首を傾げていました。
そんな事が続いたある日、とても顔色が悪く、食事も受付けず体に激痛が走り、明日入院されるというお客様がお店に入ってみえたのです。どうしても、私どもの美容室に行きたいとお嫁さんに言われ、髪を切りにみえたのです。私はただ少しでも痛みがなくなればと思い、体をさすっただけなのですが、帰り際に「y子さん、私は信じているからね。」と何度も念を押され、今思えばその時には随分苦しかったのだろうと思います。それから半月程たった頃、お嫁さんが「y子さん、奇蹟が起きたのよ。」と言われ喜んでお店に入ってみえたのです。
大腸ガンの告知をされ、食べ物も上へ戻り、検査のファイバーも下から上へ入らず、CTスキャンもレントゲンも家族の方が見て、先生から説明も受け、あと2日で手術となった時、手術前最後の検査のファイバーを入れたところ、ガンが消えファイバーが貫通したとのことでした。先生方も信じられず、「これが奇蹟というものなのか。」とびっくりされたそうです。
数日後、地蔵タオルが届いた電話をしたところ、「今日退院なのよ。近々お店に行きます。」とお嫁さんが嬉しそうに言われました。私もホッとして電話を切り、何気なくカレンダーを見たところ、なんと24日、それは一般にお地蔵様の日といわれる日でした。
私はそれから、何人もの病気だけでなく、人間関係に悩む方などの奇蹟をみるたびに”相手の方を信じる力”と”素直な心”そして”お地蔵様の力”、真ん中にいる私はその橋なのだと思い、少しでも皆さんの痛みや苦しみが少なくなり幸せな人生が送れますようにと願わずにはいられないのです。
ほんのちょっとこの地球にほんのちょっと呼吸をしに生れてきただけなのに。こんな素晴しい仏縁に出会い、お地蔵様の力で皆さんが幸せになるお手伝いができるとは夢にも思いませんでした。k尼さん初め今まで出会った方々に感謝の気持ちでいっぱいです。笑顔でお客様を迎えること。それが私の仕事であり、皆さんと幸せになること、それが私の夢なのです。
口奄訶訶訶尾娑摩曳娑婆訶(オンカカカ ビサンマエイ ソワカ=地蔵真言)
合 掌
平成九年十一月二十九日
(注)文中のk尼とは、岐阜県御嵩町の尼僧のことで、『地蔵大菩薩礼賛記』第18部に、娘さんの重症喘息が快癒した不思議な霊験談を執筆していられます。(該当文)
(なお近日刊行予定の『地蔵大菩薩礼賛記』第19部に掲載する予定です。)
首無地蔵が昭和52年(1977)発掘祭祀されてより20余年を経過し、その間、お蔭話記録、お蔭を貰った人のお礼の奉納絵、提灯等、全国誌や新聞に紹介された記事、年大祭に接待した記念品等を一堂に集め展示しました。
これまでの経過が一目して分ります。
現在、地蔵会館の2階に設けましたが、将来は資料館を建設し、館内にパソコンを設置し、インターネットによる検索も可能となるよう、さらに拡充計画中です。
平成10年5月18日、首無地蔵を掘り出して祀(まつ)ってより21年目に当る今日、盛大に大祭を行った。
平日ではあったが、午前7時頃より参拝者の出足が早く、境内は賑(にぎ)わいを見せ始める。護摩(ごま)法要は定着したと見え、参拝者は眞先きに護摩木の受付けに蝟(い)集する。護摩法要は9時に始まり、護摩木の炎が天井高く昇る頃は、境内の礼拝堂内も信者で雑踏する。お神酒、茶菓の接待所及び21周年の記念品の渡し所では人の行列が続いた。
鐘楼の鐘は終日鳴り響き、テレビ局、新聞記者は忙しく取材にかけ回っていた。
新しく開設した資料室は見学者が次々訪れ興味深く眺めていた。団体は兵庫県村岡町(日本海側)の47名、四国松山市の140名等、山陰、九州、大阪等よりの参拝者で賑わい1万人を超えた。
昨日まで秋の温暖な日が続いていたが、本日は急に12月中旬頃の冷気が迫り境内はうすら寒い一日となった。
朝の8時頃から、参拝者は続々とつめかけ、護摩(ごま)木の受付所は忽ち黒山の人だかりとなる。不況の風吹く世相に願いごとを称える人々の表情は真剣である。香川県三豊郡山本町より井本ふみえさん一行30名が参拝、一行の中に御蔭を貰った人が多く、毎年必ず参拝される。そのほか井原市より信仰の団体バス等が到着する。
護摩木は赤々と燃え、僧侶の読経の声と共に信者の願いをお地蔵のおわす上天に届ける。
礼拝堂の傍の鐘楼に登り、次々と参拝者の打ち鳴らす平和の梵鐘の音は、周辺にさわやかにひびきわたる。
テレビ局や新聞記者が忙しく取材に走り回る。今年開設した資料室では参拝者が熱心に見入っている。
参道には、イリコやミカン、肉コロッケ、ポンせんべい、生花等を売る露天商が並び人だかりしている。
午前、午後と2回の護摩法要を終え、参拝者は御神酒(おみき)や茶菓の接待にあるは記念品の高級菓子を貰って、大祭に満足した表情で地蔵境内を後にして行った。
昭和52年発掘当時から首無地蔵振興に尽力した杉原茂氏は、 平成12年5月13日午後9時42分永眠。享年84歳。
葬儀は平成12年5月15日府中市公益社会館にて慶照寺住職のもとで行われた。
7月18日(火)に、首無地蔵の月例祭がおこなわれました。時折弱い雨が降ったり止んだりするなか、9時半ごろから近郊の真言宗僧侶による、読経及び説法、御神酒、菓子の接待がありました。
十五日から梅雨前線が停滞し、偏西風帯のうねりに合わせて、前線に湿舌(高温多湿な空気)が流れ込み続け、各地に被害を出しています。
近頃、老健やデイサービスの利用者によるリクリエーションを兼ねた団体参拝が目立つようになりました。18日も、参拝客の雑踏を避け、比較的空いてきた1時から3時頃にかけて、府中市内や福山方面から何組もの団体が数人の若い介護職員に引率され参拝されました。
お地蔵様に参拝した後は、記念撮影などで一時を過し、お菓子の接 待には相好をくずされたお年寄たちは、門前の店でみやげを購入し、満足そうに帰って行かれました。
市内が一望に見渡せる首無地蔵菩薩は、駐車場、トイレ、休憩所、門前の土産物店などがそろっており、格好の訪問場所なのでしょう。
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