(滋賀県草津市)Y男(69才)
私の職業はタイル左官業で冬期等職業柄冷え込みの関係か、二十年来両足指の先きが就寝の際上布団にすれただけでも痛さのため飛び上る程の痛さに苦しんでいました。又、腰痛も而り、其の上喘息の身のためあらゆる医療機関で診察を受けましたが快方に向はず、現状維持というつらい日々を送っていたところ、昨年十二月二十七日頃テレビ観賞中、首無地蔵さんの偉大なる御利利益によって多くの方々が難病をなほして戴き喜こんでいられるという画面を見たが、そのとき何処の放送局かチャンネルを見忘れ、ただ広島県とのみしか記憶していませんでした。
後日一度お参りしたいと思い大津や京都支局等に問い合せましたが首無地蔵さんの所在が解らないまゝ月日がたち、どうかして一度お参りしたいと思っていたところ、当町の寺の息子さんが広島県庁に勤めておられることを思いだし、早速電話で問い合わせたところ、二月十二日府中市出口町に祀ってあると連絡がありました。
やれやれこれでお参りが出来ると喜んだものの、遠方の地であり、土地勘もない私として行き先き不安も感じて、誰か連れを誘ってお参りしようと思って、懇意にしているI自転車屋の主人が中風で仕事も出来ずぶらぶらしておられたので、Iさんに首無地蔵さんのお慈悲におすがりするよう、テレビで見たことを話しお参りを誘ったところ、多くの方々が難病をなほしてもらつていられる霊験あらたかなお地蔵さんなら、是非お参りしたいということで話がまとまり、二月十四日、二人でお参りさせてもらいました。知らぬ土地、尋ね尋ねてのお参りでありました。
三人程お参りされていたので、その人達にお地蔵さんの由来記を尋ね聞かせて戴き、私は両足指の痛みを、Iさんは中風で手、足が自由にならないのを自由になるようお願いしました。
遠方の地であるため再三のお参りも出来ないので、お地蔵様にローソクや線香を日々あげていただく寸志を受け取って下さる世話人さんを尋ねたところ、Sさん宅を教えて項きました。
Sさんより首無地蔵さんに多くの方々がお蔭をもらはれ、喜こびと感謝の日暮しをしておられる実例のお話を聞き、お地蔵さんの由来記と礼賛記を戴き、帰路再度お地蔵さんにお参りして家路につきました。長い間お参りしたいと思っていたのが果たせて、心は何時しか晴れやかになった。
その後私の足の指先きの痛みは知らず知らずの間になくなるし、Iさんは今迄中風で自転車のチューブ張りが出来なかったのが修理出来るようになり、お互にお地蔵さんの不思議なお力に驚くと共に、お参りした甲斐があったことを喜こびあい感謝とお礼を心よりお地蔵さんに遠方の草津の地より申し上げました。
三月十一日にお礼参り方々、次は腰痛の平癒のお願いと家内が年中、頭痛で悩んでいたので家内や町内の人達十人でお参りさせてもらいました。
其の後私の腰痛もお蔭様で不思議というかどんな仕事をしても痛さ知らずになりましたし、家内の頭痛もうそのようになおり晴ればれした毎日を過させてもらっています。
これ一重にお地蔵さまのお蔭で、感謝とお礼の日々を送っています。喜こびの余り町内や知人にこのことを話し難病で困っていられる方にお地蔵さんのお蔭を戴かれるよう、折があればお話し、問い合せがあれば、由来記や礼賛記を見せてあげ乗車する列車、乗替え駅、お地蔵さんえの道順などを教えてあげています。
五月十八日の祭祀1周年記念祭には前日より泊りがけで信者八人でお参りしました。腰痛平癒のお礼と次は喘息の平癒をお願い致しました。
其の後、滋賀県下の方々や親戚、知人等お地蔵さんにお参りしてお蔭を戴かれた八十名余りの多くの人達が喜こんでいられるし、私も嬉しさの余りお地蔵さんに何かお礼をと思い幟を奉納させてもらうべく、私が発起人となり隣りのY氏(この方もお地蔵さんのお蔭で心臓病がよくなられ家族一同がお地蔵さんの信者)の協力を得て奉賀帳を各人に回したところ七十八名の賛同を得て、七月十八日、月例祭に草津信者一同で幟九本、大津信者一同一本、栗東信者一同で一本の計十一本奉納させて項きました。
お慈悲深きお地蔵さんの周囲に私達の幟がはためき感謝の一端とさせて項きました。
偉大なるお蔭をさずけ下さるお地蔵さん本当に
有難う御座います
合 掌
昭和五十三年七月二十日