「備後府中 首無地蔵菩薩」『礼賛記』第9部>1


『地蔵大菩薩礼賛記』第9部

一、交通事故による人事不省よりよみがえる


(広島県芦品郡新市町)W男(48才)


昭和五十四年三月一日午後五時は私にとつて魔の時刻であった。勤務先の木工会社より仕事を終えて車で帰る途中、横からリフトが突然に出て来た。あつと思つて避けるべくとつさにハンドルを切つた。が運悪く、傍のブロック塀に自家用車がぶち当つた。それつきり、何にも分らなくなつた。そのままK病院にかつぎこまれて一週間というもの人事不省におち入つたままであつた。三日目に体を動かし始めたそうであるが、意識は不明のままであつた。

人事不省の間中、只一つ丈不思議な記憶がある。小さなお堂が見えた。そのお堂は、府中の首無地蔵のお堂そつくりであつた。お堂にそつて塀があり、その門の前に私は立つていた。門の向う側に大変にぎやかな所が見えた。大勢の人が居て宴会の様なにぎやかさであつた。

私はその方に一生懸命行こうとしていた。だが白いものをかぶつた白装束の女の人三人が立つていて、どうしてもにぎやかな方に行かしてくれなかつた。無理に入ろうとすると三人とも片手にじゆずをかけた女のような人は物も言わず、前から押したり後から引つぱつたりして、どうしても行かせない。その時私は大変しんどかつた。

意識不明の間、他のことは何にもわからなかつたが、この光景だけははつきり覚えている。今から思うとそのにぎやかな所は亡者のはしやいでいた所であろう。年死の境にあつて死霊がしきりにまねていたのかも知れない。日頃信仰していた地蔵菩薩様が私を救つて下さつたに違いない。その様に確信している。

私が柄院にかつぎ込まれた時、右頭部をひどく打つており、打つた所の骨はくだけて居て、医者は助かる見込はなかろうと言つたほどの重態が奇蹟的に助かつたからである。

私は昨年の七月から毎月二回必ずお参りしている。そして戴いた首無地蔵様のお守りは肌身はなさず身につけていた。病院で一週間目に意識が回復するとすぐ子供に府中の首無地蔵堂までお参りさせ、お守りを新たに貰つてかえりその札(ふだ)の包み紙のはしをちぎつて戴きのみ込んだ。

駄目だと思つていた医者が不思議がるほど早く快方に向つていつた。十五日目には縫つた頭の糸も抜いた。入院後五十八日目の四月二十七日には退院した。そして四月二十九日、早速首無地蔵堂にお礼参りした。

すんでの所をお地蔵様のお蔭で助かつたと感謝の念が一ぱいで厚く厚く御礼を申上げるのみである。

有難うございます。

合   掌

昭和五十四年四月二十九日


注:

昭和五十九年一月四日死去。

正月、昼間パチンコをしていた。昼飯前、頭がおかしいと言って台所に薬を取りに行ったら倒れた。二時病院に連れ込む。夕方に息を引取る。殆ど苦しんでいないと奥さんの話。