アマチュア無線局 JA4ALH 
            JCG35003

  私がアマチュア無線を開局してから.まもなく40年になりますが 
   JA4ALHの40年間の歩みです

  項目    1       アマチユア無線との出会い
         2       SWL 時代
         3       JA4ALH 開局
         4       SSBの始まり
         5       モ−ビルの始まり
         6       JA4ALHとDX
         7       WAI WAI グル−プ JR4ZZJ
         8       その他 


      アマチュア無線との出会い           
  私は昭和35年3月まで 福岡県飯塚市に居ました 
   昭和32年頃に.5球ス−パで無線を聞いていました

                       rx
                      2バンド 五球ス−バラジオ

        



                 S W L 時代

   
        昭和33年関門海底トンネル開通記念カ−ド

           ja6op私のSWL時代 ハムへの情熱が沸いてきた時期


        昭和33年から昭和34年までの九州時代の私 

            送信機 受信機の製作にかかる
               ja6swl 
  私が飯塚市に居たときに.嘉穂無線に.パ−ツ類を買いに出入りしていたが
  廣島に帰ると挨拶に行き.もう二度と会えないと
  テレビ−フイダ
.同軸フイダ.パ−ツ類を沢山頂いた事を.覚えてます                 
 


         JA4ALH 開局 

  昭和35年3月に廣島県芦品郡に帰って来た 翌日にアンテナを上げ テスト電波を出す 
  飯塚の友達に連絡を取る.
  芦品郡で始めてのアマチユア無線局の誕生です 
                        ja4alhop 送信機は807シングル ハイシング変調
     周波数は水晶発振器スポットである 開局して数年は7MZHでは 7−7150kcまでの
     運用が出来たのだ 50kcがカツトされる日 今日が最後の日だと沢山の局が運用しました
        
                         


      S S B の始まり         
  開局して間もなく(昭和35年−38年間)SSBの話題が聞こえてきます 
  昭和37年にSSBハンドブックが発売になる

  こんな中 私の先輩のJA6AFN 清水OMがSSBで私をコ−ルしてきましたが
  私はまだ AM方式です SSBが復調出来ないのです 

  そこでリイプメ−タでビイトをかけ復調しました. この時代はまだ 
  AM方式が主流でSSBの局なんか.めったにいないのです

   まだ. SSBの無線機は国内では販売してないので 全て自作機です
 
            ssbフイルタ.タイブのSSB送信機
         メカニカルフィイルタを入れたダブルス−パの受信機の製作をする
         私に昭和38年SSBの免許が下りた 当時はキャリア漏れで苦労しました


               S S B 無線機 国内で販売開始
  昭和39年2月にトリオからSSB送信機 TS-388が販売開始 この送信機はフアイナルは自分で
   組み立てる製品 受信機はJR-388である 又昭和38年頃                    
   クラニシからSSB 発信器のみの販売もあつた
    TS−388私もトリオのTS-388とJR-500を使う.始めてのメ−カ製である
                


その後昭和45年にヤエスより FT-101が発売になる 私は2台購入する 一台は固定局にもう一台を
  モ−ビルにセツトする  いよいよ   HFモ−ビルの開局である  
              FT-101 日本で始めてのHFのトランシバであるFT-101


 その後昭和56年 ヤエスFT−901 トリオTS−830の購入する本格的に固定局の運用に入る                                     
                            ft-901


           
                              TS−830 とパソコンの運用をしてる                            my.syaku              pasokonn 

  現在はヤエスFT−901で時々き運用してる

                  


                       モ−ビルの始まり

                  fdfm  昭和39年頃の私 50MHZ のAMのトラシバ
 

   

    s43   s43in

昭和43年代  50MHZ. 144MHZ
 井上 FDFM−5  昭和41.9 発売
     FDFM−2  昭和41.7 発売
        
    

      

                    

  s49       s49in

昭和50年代50MHZ 144MHZ 7MHZ 21MHZ
      ヤエス 101  昭和45.5 発売

   
s52 s52in

昭和52年代 144MHZ 7MHZ 21MHZ

  s54 s54in

昭和54年代  144MHZ 7MHZ 21MHZ

s59   s59in

昭和59年代 144MHZ 7MHZ 21MHZ
  トリオ TS−120

s62 s62in

昭和63年代  144MHZ 7MHZ 21MCHZ

 he2  he2in

平成2年代  144MHZ 430MHZ
         ヤエス FT−4700

          
    simain

平成4年代  144MHZ  430MHZ
         ヤエス FT−4700

                             HFモ−ビル 7099
    昭和50年代から63年にかけて7099でHFモ−ビルを運用しました その時の出来事

 (1 宮崎県高千穂で仕事先の工場前で運用したら 工場のスピカ−から
    私の声が聞こえて来た(アンプアイ)

 (2)長崎県島原で1週間滞在する 昼は無線機は車にセツトする
    夜は旅館で運用する 3日目の夜
    運用開始する しばらくして私に お客さんですと呼びに来る 
    出て行くと.警察官でした(挙動不審)

 (3)高知県中村に仕事で昼までに着く予定が 無線機を車から取り外し 
      調整しながら移動してたら.夕方になる(カミナリが落ちた)                

 (4 昔の7099は OMさんが日曜日の朝 全国に向けてロ−ルコ−ルに使ってましたが 
      その時間帯 モ−ビル局は バンドは 空けてた (沈黙の紳士協定)
 
 (5 私は7099の岡山大会(7)四国大会(8) 東京大会(9)と参加しましたが 此の中に
   JF1IST藤原氏がいましたが その彼がのちに昭和54年に単独で沖の鳥島の DX PEDITION.
   を決行したのです 沖の鳥島からの運用は過去2回のみです    JF1IST/7J1 
                                           JF1IST/7J1 のカ−ド



 


             JA4ALHとDX     

      昭和54年頃 固定局のトランシ−バをヤエスのFT−901に取り替えメモリ.
     スブデレットQSQが出来るのが当時としては 特徴だこれを機会にDXへの道えと進む
      昭和54年から平成8年まで 
                        

      

日本アマチユア無線連盟 創立記念 昭和34年11月31日                 
                JARL JARLの創立記念会員証

   これよりロ−カル関係

  昭和42年頃50HZMが主流の時代に福山地方でJAF主催でラリ−が年1回開催されたときに 

 アマチュア無線 関係者に協力が要請されました そんな関係で モ−ビル局が集まるようになり   
 福山地方にグル−ブが出来たのです
 そんなときに廣島地方にもグル−プが出来てました
 そこで 西条で廣島県東部と西部の 合同ミイテングを開催 県内一週のラリ−を決行しました
 この時のメンバが母体となりJMHC廣島となったのです 
 私は副会長を二期勤めました


           廣島県東部の2メ−タの夜空け

 廣島県東部では昭和42年頃は50HZMが主流ですが岡山.廣島県西部では
   何人かの局が144HZMを運用していましたが
   そんな時に 尾道のタクシ−会社が無線機の入れ替をすると由うニユ−スが
   入ってきました 150帯の固定局と15台の移動機です 一括購入が条件でした 
   そこで.私達数人で購入し
   東部地方の有志にバラマキ ました 無線機を受け取る日が大変でした. 

   なんと.尾道大橋の開通日だつたのです(昭和43年3月4日)
   国道2号線が大渋滞です 帰るのに何時間も掛かりましたが

  此の日のことは 今でも覚えてます 各局は1週間から 1月間で改造しました 144.48
  の固定周波数でしたが これを機会に沢山の局が運用開始しました


          私が始めて作ったトランジスタラジオ
     昭和34年当時は基盤はなく セルドイドの下敷きに線香で穴を空けて基盤の代用品とする
      tr1
          tr2


               想いでのQLSカ−ド    JA4GIQ  島本OM     

                                   

 

  昭和44年1月2日.当時はモ−ビルは50MCが主流
   JA4GIQ局とは国道200号線を移動中に50MC
  でコンタクして 同じ熊本の阿蘇に行くことがわかり 行動を共にしてましたが
  この日の阿蘇は雪が降り タイヤ−にはチエンを巻いていました 夜9時頃子供が急病になり
  正月2日と夜9時又雪が降ってる地理不安等最悪事態です 医者は往診出来ないとの事
  JA4GIQ局夫婦に大急手当してもらい GIQ局が同乗してくれて病院に行きました
  GIQ局は消防関係の仕事をしてる事が後日判明 あの時の手際の良さが理解できました


        JGC35003廣島県芦品郡消滅か          1999年11月

 JGC35003芦品郡とJCC3506福山市の合併問題で最近テレビ又新聞で報道されていますが
 私はHF帯の運用のときには芦品郡は人口23.800人と紹介してます又
 ハム人口は推定1200いますが

 HF帯を運用してるのは数人だ思います.私自身が40年間で10人と交信してます
 合併問題は. 昭和47年に芦品郡と深安郡に福山市からの合併の申し込みがありました

  当時は .芦品郡 新市町.芦田町.駅家町
        深安郡  加茂町.神辺町  
 この時 芦品郡芦田町.駅家町. 深安郡加茂町が福山市に吸収合併したのです .                           
                      

   ja4xz   ja4bwo        ja4bjv

 廣島県深安郡加茂町下加茂   

  1960.1.17.交信

  廣島県芦品郡駅家町中島

   1963.3.3.  交信  

廣島県芦品郡芦田町福田

 1966.7.17.交信

   現在は存在しない. 芦品郡駅家町.芦品郡芦田町. 深安郡加茂町のQSLカ−ド


 昭和47年に申し込みを保留した芦品郡新市と深安郡神辺町が平成10年8月に
 福山市側に合併を申し込だのだが.私達町民には何の.説明も無く 状況が解らず
 ある町議員の話 合併問題は町民に賛否を聞くとのこと
 新市役場関係者は 平成11年の福山市長選.新市町長選.神辺町長選が終わり
 そこで合併問題が検討され.町民に賛否を問い.準備に入っても5−6年はかかるとの事
 したがて 我が芦品郡は当分の間は消滅しない.結論に達した


      平成15年2月2日で広島県芦品郡は消滅しました

 昭和30年の4村合併で芦品郡が誕生してから

 途中で駅家町。芦田町 加茂町が福山市に合併して

 1郡1町の芦品郡新市町でしたが 48年目の平成15年2月2日で幕を閉じました

 昭和35年4月にJA4ALHを芦品郡に開局してから海外合わせて約9417局と

 交信しました 特に今年に入り(平成15年)消滅がまじかになり

 連日CQ.CQと最後の芦品郡で 約290局と交信しましたが

 平成15年2月2日21時23分JA4NLC局(川崎さん)を最後に芦品郡の
 
 運用を停止しました)JCG35003ともお別れです サヨウナラ35003 

  

  平成15年2月3日記


              

   アマチユア無線局 WAI WAI クラブのペ−ジ                       JR4ZZJ
                      

       
 

シニアライフシリアル

               
 

アマチュア無線ムセン     

           
 

ペツトペツト

            
                                                

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