「モヤさん」の人と自然の出会い旅[
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私の過去の山行きは、一人の事がやたら多かった・・・。登山の入門書には、単独行の危険性が説かれている。曰く、「事故の際に誰も助けてくれない」「そもそも遭難の事実にすら気づいてもらえない」「テントや炊事用具など共同装備になるものを一人でかつがなければならない」・・・等々。総て「ごもっとも」な理由です。それなのに、何故か一人で山に向かってしまう。 そもそも、大学で山をはじめた頃は、大学のクラブのメンバーと山を歩いていたし。それはそれで楽しかった。それなのに何故だろう・・・? 一つには、単に相棒がいなかった。いても、休みの日にちが合わない。だから一人で山に向かう。 一つには、ただただわがままだった。自分より(体力の)強い人と一緒に山に行くと、相手に迷惑をかけまいと、頑張りすぎてしまう。これは、つらい・・・。ところが、自分より弱い人と行くと、相手のペースに合わせなければならない。「本当ならもっと先に行けるのに」と思ってしまう・・。同程度の体力の人なら良いか?お互いの体調はそのときしだい、相手の悪いときもこちらが悪いときもある・・・。我ながらわがままだ。(^_^;) 心理的には、 大学に入ると読み始めた雑誌「山と渓谷」に当時連載されていた新田次郎の「孤高の人」で、モデルになった加藤文太郎を知り。彼の山行記である「単独行」を読み。彼の影響下に入ったのだと思う。無論、体力も技量も信念(執念?)も桁違いでしたが、あこがれが類似行動に走らせたのかも知れません。 それでも、一人で山に居ることがつらかったなら、やはり単独行は続かなかったでしょう。ところが、子どもの頃から、一人でいる事にさほど苦痛を感じることなく、一人で裏山に登って物思いにふける等という、「変な子ども」であった経歴の持ち主で、その上、野宿(緊急でないビバーク)にどんどんなれて、2/3畳ほどの広ささえあればツエルト(簡易テント)を使って、どこにでも寝られる自信がついてきます。暗闇の中から変なものが現れるなんて妄想も湧きませんし、夜目が利くので慎重に動くようにすれば、夜道も恐くありません。体力に余裕があれば好きなだけ歩き続けることができます。月明かりや星明かりの中で、夜道を歩くのもおつなものです。そして何より、 一人の山は、自分との対話の場でもありました。自然と語り、自分と語る。とても豊かな時間です。ネイチャーゲームの目的は「自然への気づき(自然を直接体験し自分と自然が本来的に一体であると気づくこと)」です。それには一人でいる時に深まってゆくように思います。 そんな私ですが、次回は、一人山にいて無性に人恋しくなった時の事を書いてみたいと思います。 2002.10.31 |
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一人での山行きが大好きで、一人の山行きが多かった私ですが、決して人嫌いではありません。諸般の事情と、そこでの深い楽しみがそうさせているだけです。一人山にあって人恋しい思いが深かった時のことを・・ まだ学生の頃、突然思い立って奥秩父へ行きました。夕刻、麓について山の中へ、森の中にはいると星明かりすら無く、真っ暗です。夜目にはかなり自信があって無灯火の山登りの得意だった私も、ランプをつけなければ歩くことすらできません。たどり着いた小屋には誰もいませんでした。静かな夜を過ごした後、日の出前の薄明かりの中を出発します。樹林帯を抜け稜線にでると、尾根の向こうには雲海が広がっていました。しばらくたたずみ、座り込んでしまいました。晩秋の山上の空気は凛としていていじっとしているのは辛かったのですが、この風景をしっかりと受け止めたかったのです。とても幸せに感じました。そのときに、痛烈に感じたのです、この気持ちよさを一緒に味わう人がそばにいて、感動を分かち合うことができたらもっと素晴らしいだろうにと。 もう一つ、 これまでの山行の中でも最長の部類に属する山行きだった、南アルプス全山縦走の時のことです。当然、単独行。大井川鉄道から寸又峡へ、そこからひたすらひたすら(知る人ぞ知る長ーいルートなのです)林道を歩き続けている内に、二人の単独行者と前後しながら歩きました。寸又峡から光(テカリ)岳に登るのは、よほどの物好きということなのでしょう、グループの人は皆無。互いに意識しながら、ほぼ同程度の体力で、結局一緒に歩くようになりました。その夜は、登山口付近で、余計な労力はさけようと一人のテントに3人入って、食事はてんでに作成。それぞれの、単独行のノウハウを盗みあったものです。 こうして、はじまった山行ですが、その後の2日くらいは小雨の中をほぼ同一行動をした後に、別行動になりました。別に喧嘩したわけではありません。雨だから他の人は聖平の小屋泊まりに切り替えた上に、一日休憩ということにしただけです。そもそも、別個の計画ですからなんの問題もありません。 その後、一人での山歩きが続きますが、すれ違う人がいたり山頂での語りがあります。それも塩見岳での語りが最後でした。雪投(ゆきなで)沢源頭にあるテント場には、私の他に誰もいません。夕闇が迫る中を稜線を歩くパーティーを見ましたが、彼らは塩見に向かっていました。 たった一人の山上のテント場を楽しんだ翌朝は、雪投沢を下ります(標高差約1000mの下りです)。標高差のある沢で、整備も余りされてないので、利用する人は少なく、登ってくる人もいません。下りきると池の沢小屋、お茶でももらおうと入っていくと、小屋番さんはいなくて、昨日雪投沢を下っている途中に捻挫して、小屋にお世話になっているという人が一人だけ。同じ単独行者として、事故の時の怖さを身にしみて、話し込むこともなくすぐに小屋を後にして、池の沢を登ります。今度は標高差約1000mの登り、上り下りの大きい南アルプスでもとびきりのコースです、パーティだったら反対が多くてできない(^_^;)。 登っても登っても人に出会いません。沢の名前の由来になった池のところで休んでいると、ガサッと音がします。クマか?!と気持が引き締まります。登山者でした。特に話すでもなく挨拶だけで、すれ違い。コース上このすれ違いが唯一の人との出会い。夕刻に農鳥岳山頂にたどり着いても時間が遅くて人っ子一人いません。西農鳥岳もご多分にもれず・・・。人に会いたいと思っていたのだと思います。 西農鳥岳から下っているときです、周りを覆っていたガスが動きました。そして、足下に農鳥小屋が見えました、小屋の周りには人影も見えます。心の底に生まれていた人恋しい気持が、私を突き動かしてしまいました。それまでマイペースで歩いていたのに、下りで思わず足を速めてしまいました。長い下りと登りで疲れていた体に、突然のハイペースに体がついてきませんでした。膝を痛めてしまいました。その日は、「やってしまった」くらいでしたが、翌日からの山行は下りになるたびに膝から頭の先に突き抜けるような痛さに悩まされることになってしまいました。 あの時つくづく、人恋しかったんだろうなあと思います。知り合いがいたわけでも、そこであった人と話し込んだわけでもありません。ただただ、人に近くにいて欲しいと思ったのだと思います。好きで一人山に行くのに、山にあっては人恋しい・・そんな私です。 2002.12.1 |
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自然の中にとけ込むことができると、人は幸せになるようです。そんな実感を持てるネイチャーゲームの一つに『狩人の訓練』というのがあります。狩人は、獲物になる動物に自分の存在を気づかれないようにする必要があります。気配を消して、自然にとけ込む技術が必要なのです。かって、ネイティブアメリカン(北米インディアン)の人たちは、獲物を待つ間だ、精神を集中して気配を消していたといいます。『狩人の訓練』は、そのやり方からヒントを得た活動なのです。色んなところで実践をしてみて、参加者にも自分にも随分いい感じです。そんな体験の一つを紹介しましょう。 別府市小鹿(おじか)でのネイチャーゲーム指導員養成講座の事です。住所は別府市ですが、「えっこの道を進んで良いの?」としばしば来訪者を引き返させてしまうという細い道の先にあるところです。素敵な自然に囲まれた、隠れ里のような場所です。 私の講座では大体いつもそうなのですが、最終日の朝は『サイレントウォーク』というネイチャーゲームを楽しみます。この時も最終日の朝、皆と見晴らしのいい場所に登って行きました。東の空は海に向かって開けていて(標高は500mを超しています)、日の出前の明るくなりつつある空に、金星がひときわ明るく輝いています。その輝きを見つめながら、ネイティブアメリカンンに伝わる、朝を迎える歌を歌っていると、それぞれの人の気持ちが星に吸い寄せられていって、静けさがあたりをつつみます。この静けさをもっともっと味わいたいので『狩人の訓練』をすることにしたのです。 それぞれがフィールドの中で、自分にピッタリくる場所を見つけて腰を下ろしてゆきます。そして、じっと静かにして周囲の雰囲気が変わってくるのを待ちます。すると、フィールド全体からじょじょに人の気配が消えてゆきます。今度は、静かにしているだけではなく、自分がそこにはえている樹木や石になっているイメージを持つようにするのです。木化け石化けです。木や石になるわけですから、体を動かしたり、振り返ったりしません。もっとも、草や木の葉になったときは、吹いてくる風に合わせて、他の草や木と一緒に少しゆれてみたりします。 そんな風に草になってゆれていると、遠くで鳴いていたジョウビタキがスーッとやってきて、目の前の梢にとまりました。彼(オスでした)は、さえずりながらふと、私に気づきます。私は、ワクワクしながら草になっていました。動かないし、人らしい気配を発していない私を、小首をかしげて不思議そうに見ながら歌いつづけています。彼は、随分長いこと私を観察した後で、特別焦った様子もなく飛び立ってゆきました。 草になるのも少し飽きたので、今度はさっきジョウビタキがとまっていた梢になる事にしました。梢になって周囲の様子を感じてみると、みごとにあたりから人の気配が消えています。皆それぞれ、自然になりきっているようです。 気がつくと、だいぶ明るさが増してきています。少しですが気温も上がってきたようにも感じます。私の気持ちも、木だとか草だとかといった個々のものではなくてそのフィールド全体になじんでいて、とけ込んでいるような気分です。意識している自我は確かにあるのですが、自然の一部であり全体でもある自分を感じるのです。 集まってみると、それぞれの人の気持ちがとても静かなものになっているのを感じられます。これならと『サイレントウォーク』を始めると、二人でズーッと太陽が昇るのを見つめ続けているカップルがあったりして、しっかりと静けさを楽しみ、分かちあう時が流れてゆきます。この素敵な状態を、長野のTさんは「天国が地上に降りてきたような」と表現していましたが、まさにそんな感じです。 2002.12.20 |
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新潟県は妙高での講習会でのことです、フィールドの下見をしていると、広島では見ることのない巨大な「オオイタドリ」がありました。そこで、「フィールドビンゴ」というネイチャーゲームを指導したとき、発見するものの中に「イタドリ」を加えました。 ところが、やり方を説明していると「イタドリって何?」という表情が参加者の中にたくさん有るではないですか。ははん・・・「イタドリ」という呼び名になじみのない人がいるなとピンときました。「イタドリ」には、とてもたくさんの地方名が土地土地にあるので、通じないことが多いのです。 実のところ、「イタドリ」なんて名前は、子どものころには知らなかった。いや、大人になっても知らなかった。しょっちゅうポキンと手折って食べていたなじみの植物に、「イタドリ」という標準和名があり「虎杖」(茎の赤い斑点をトラの模様に見立てた杖?)などという漢字名があることを知ったのは、30代になってからのことだと思う。ついでに言うと、同じように食べられて酸っぱい味のする「スイバ」との区別もいい加減なものだった。どちらも手軽に手に入り、酸っぱい食べ物ものだったから、区別する意味がなかったのです。 「タチンポ」とか「スッポン」といえば仲間内で充分通じたし、全国的に通じるのだろうと思いこんでいました。 手近にあって口に入れることができるので、全国の(昔の)ワンパクどもには、有用植物だ。だから、「イタドリ」(名前の由来は葉揉んで傷口に付けると、痛みが取れるから?)などといいう洒落た名前は知らなくても、てんでに名前を付けるから、山のような地方名(方言)が存在する。曰く、「カッポン」「スカンポ」「スッポン」「アオバ」「アカッポ」「イタイタ」「イタコ」「ウシダンジ」「サトウガラ」「ポンポン」「ウチチグサ」 「ゴンパチ」「タジンコ」「コデッポー」「サイジ」「アナッポ」「イタッポ」「サストリ」「ダンジリ」「カンコ」「ドンゴエ」「イタンズル」「カッポン」「カッポンシンジャ」「ズイコ」「トッポン」「ナベウレ」「ネポ」「ノダチ」「ハイタ」「ビイビイガラ」・・・まだまだ続きます、その数500とも700とも (@_@) そして、先ほどのスイバにも地方名があって・・・・「スカンポ」「カイカイ」「ギシギシ」「ゲジゲジ」「シーカイカイ」「シーカンポ」「シーカノトントン」「シーハ」「スイコ」「シーバ」「シノ」「スカナ」「スカナッポ」「スッカッチョ」「スカンボウ」「アカギシギシ」「イヌダイオウ」「ウシノベロ」「ウマサトガラ」「サトギシギシ」・・・などどこちらも延々続きます。 両方の地方名を比べてみると、「イタドリ」と「スイバ」の両方に「スカンポ」の名があります。同じタデ科の植物ではありますが、別種。比べればかなり違うのですが、区別なんてどうでも良かったワンパクは、私だけではなかったようです。 標準和名や学名は、言葉を通じて共通理解をするのにはとても便利です。地方名では上記のように別物を同じ呼び名にしていたりして、てんでに違うものをイメージしてしまうかもしれませんから。「メダカ」の地方名にいたっては5000以上もあるといいますから、それを全部把握するのは無理です。 そのことは、分かった上で標準和名しかないというのもも寂しいですね。そもそも「メダカ」だって関東地方で使われていた地方名ですが、土地土地の表現の中に文化の多様性を感じると言ったらオーバーでしょうか。 ![]() 地方名がほとんど無いものもあります。広範囲の流通とか権力などが関わってくると、相互の共通理解の維持のために名前が限定的になります。例えば、メダカに比べて極めて商品価値が高く、古来から貢納(税の一部と考えればいいでしょう)に使われていたアユ(鮎)はほとんど地方名がありません。 ところで、冒頭の妙高での話し、色んな地方名を使って確認してゆくと「ああ!」という顔が広がってきて、これでよしよしと思っていたのですが・・・3人で構成してもらったグループで3人とも、分からない人たちがいたのです。スタートした後、正直に「イタドリってどんな鳥なんですか?」と質問しに来てくれました。それなりに、参加者の表情は読みとっているつもりでしたが、地方名を使っても理解できない人たちがいたのです。野のものをひょひょい口にしていた私たちの世代からすると驚きですが、これも自然体験の現状なんだと思います。 ![]() 「イタドリって何?」と思っているあなたは、この画像を確認してみてください。左側が成長した姿です、とても大きくなります。右が若芽の状態です。この状態の時に食べることができます。私は、生食していました。画像を確認しても思い当たる植物を知らない人は、身の回りのおじさん・おばさん・おじいさん・おばあさんに確認してみましょう・・・。きっと知っているはずです。(ただし、その時は色んな地方名を持ち出してみましょうね。そのものは知っていても、イタドリなどという標準和名を知らない人はいっぱいますから・・・) 2003.6.24 |
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比治山大学の学生さんにネイチャーゲームの指導をするために、同学の研修施設「からまつ学寮」という所に行きました。そこは、広島県双三郡三和町(みわ:県内に「さんわ」と読む別の町がありますが・・)の小学校の廃校跡を研修施設にしたところです。校庭に、学寮の名前の由来になったのでしょう、カラマツの木が一本どんと立っています。きれいに除草されている校庭の中で、カラマツの下は草が丸く残されていて、いい感じです。そしてカラマツの背後には、かって小学校であった美しい木造校舎があって、高度経済成長期以前の古き良き時代そもままの姿で建っています。そこに立つと、子どもの頃タイムスリップしたようで、懐かしく柔らかな空気が満ちています。 そして、校庭の一角に新築された宿泊棟の前には、もっと巨大な木が二本そびえています。高く天を指す勢いといい、幹まわりの太さといい素晴らしい存在感です。雪に耐えるためなのか、幹からは斜め上にのびている枝は次第に垂れ下がって、目の前まで降りてきています。幹はしっかりと直立していて、杉の樹皮のような感触です。こんな巨木が玄関前に二本もそびえているさまは、とても良い感じです。見ていると、気持がどんどん引き寄せられてゆきます。 ところで、この木は何という木だろうと思いました。樹皮は杉や檜に似ています。幹の感じもそうです。でも、枝振りが違います。何しろ葉っぱが全然違うのです。この木の葉はというと、長さ 5cm、巾 0.5cmほどの鎌形に曲がった平たい葉がほぼ2列にならんでついています。 葉の並びようはメタセコイアの葉のようで、それを大きくした感じです。ただし、メタセコイアの葉はさわっても柔らかですが、この葉は、葉の表面は緑色で光沢があり、しかも先端が鋭くとがっているため、手で触ると刺されて痛く感じます。杉の葉は見た目は痛そうですが、さわってみるとたいしたことありません。特に緑の葉は柔らかです。こいつはしっかり痛いのです。そして、葉の先には卵状の大きな球果がついています。学寮の管理をされているSさんに聞いてみると、以前広島大学の先生が調べて「コウヨウザン」だとおっしゃったとのこと。 「コウヨウザン?」・・・コウヨウザンといえば、以前の勤務校のすぐ近くにそびえていた山が黄葉山(こうようざん)でした。これはこれで、菅茶山(江戸期の著名な漢詩人です)ゆかりの、由緒ある山名なのですが・・・何か関わりがあるのだろうか?あるいは、どこか、この木がたくさん生えている山でもあるのだろうか・・・??。この木自身が山のようだからだろうか・・???謎は深まります。 早速調べてみることにしました。すると、中国原産で常緑の高木で、江戸時代に日本に広まったそうで、「スギに似ていて葉が広いから広葉杉(コウヨウザン)の名が付けられた」というのです。(別名オランダスギ、リュウキュウスギ、カントンスギ)ところが、杉に似ているからと言うものの・・・。中国語で「杉」といったら、コウヨウザンのことを指すのだというからややこしい。 平安時代の中頃に編纂された辞書である『和名抄』によると、「杉: 爾雅音義に云う、杉は松に似て、江南に生え、以て船材に為すべし。和名は〈須木〉日本書紀、古事記にみえる。俗に榲を用いるのは誤り」とあるのです。当時日本には、コウヨウザンはありませんでした(江戸時代に日本に持ち込まれたようです)。逆に、スギは日本固有の木ですから、中国には存在しませんでした。従って、スギに該当する漢字(中国語)は存在しなかったわけです。そこで、中国古代の辞書である『爾雅』の中で、日本のスギに最も近い記述がある字(漢字)を選んで木の名前に当てたと推測されるのです。漢字を使用する国として、中国は親近感がありますが、同じ文字を使っているだけに、注意しないと混乱が起こってしまうんですね。ちなみに、中国では日本産のスギのことを「柳杉」と表すのだそうです。ちなみに、中国語で「檜」は、ビャクシン(イブキ)のことを指すそうです。先ほどの『和名抄』には、「檜: 爾雅音義に云う、檜は柏葉で、松の身。和名は〈非〉」となっています。中国では日本産のヒノキを、日本扁柏とあらわすそうです。 生き物の名前は漢字を使った表記がわかりやすいと思うのに、学問の世界ではカタカカナ表記が中心で、漢字名等は( )に入れられるのも、ここらに原因がありそうです。それにしても「コウヨウザン」は標準和名なわけですが・・・広葉は「コウヨウ」でいいけど、なぜ杉が「ザン」なんだ??調べてみたけど、未だ不明・・誰か教えてください。 (※ 杉は音読みでサンでした。ザンで調べて無くて??でしたが、とても簡単なことでした。もっとも、音読みでサンというのはあまりつかいませんよね。) ![]() コウヨウザン(1)中景(2樹皮)(3)雄花(4)球果(5)葉 はの先に球果がついている様子は(1)で確認してください。 出典:IPA「教育用画像素材集サイト」 http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/ 2003.7.13 |