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9. |
バロックの楽しみ |
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結局バッハはバロック音楽の集大成ですね。私の興味はバッハから始り(多くの人はそうじゃないですか)時代を遡っていったのですが、兎に角最初は何を聴こうとかあまり考えもせず手当たり次第CDを買っては聴いていました。 しかしバロックの世界は広く、手当たり次第ではとりとめが無くなってしまいます。取りあえず普通の流れとしてA.ヴィバルディの「四季」を抑えておく事にしました。何せ「四季」は莫大録音があるので、誰の演奏にしようかと色々物色していましたが、当時興味を持っていたオリジナル楽器の演奏を聴いてみようとT.ピノックのCDを買ってみましたが、これはいい演奏だと思います。何よりも切れ味がよく引き締まって、間延びしたところが無いのがいいですね。テンポも良く古楽器の音色心地よく響いてきます。他の演奏を聴いていないので比較できませんが、まあこれは買って間違いがない演奏の一つだと思います。 ただし、ヴィバルディの協奏曲はどれを聴いても何だか同じ様に聞こえてしまいます。ということで、ヴィバルディはこの1枚しか持っていませんが、毎朝目覚まし代わりに聴いているFM NHKの「バロックの森」で、ヴィバルディの声楽曲がかかったりして、なかなかいい感じだと思いました。協奏曲以外でヴィバルディも今度聴いてみようと思います。 最近は作曲家の決め買いをしたりして、最初はH.パーセルとか、G.P.テレマンとか、C.モンテヴェルディなんかをよく聴いたものです。モンテヴェルディでは、J.E.ガーディナー指揮の「聖母マリアの夕べの祈り」が大変素晴らしく、これはお買い得CDでした。テレマンは一時買い続けていましたが、今ではそんなに興味がありません。 そういえば、バッハと同じ年に同じドイツの東部で生まれたもう一人の作曲家、G.F.ヘンデルの曲は実はほとんど聴いていません。(CDを1枚持っています) ヘンデルの旋律は美しく、作りも巧みだと思いますが何故だか今はあまり興味が持てないのです。まあ、これは個人的な好みで、そのうち気分も変わるかも知れませんが、ヘンデルの屈託の無い明るさがどうも今一つ好みが違って、バロックの特色であるポリフォニーも今一つという感じで興味が湧かないのかも。それともあまり聴いていないので私の理解がないのかも知れません。ヘンデルと比較してもやっぱりバッハの魅力はその完璧なポリフォニーと緻密な構成に有ると思います。 バッハがバロック最後の音楽家なら、ドイツにおけるバロックの祖といえばH.シュッツ。 シュッツはバッハのちょうど100年前に生まれ、シュッツの活躍していた時代はドイツでは30年戦争で国内は荒廃し、戦争と病疫で人口が半分以下になったとも言われています。こういう時に人々がすがるものが宗教で、シュッツの宗教曲は当時の制約された中で切り詰められたシンプルさの中に深みを感じます。そんな訳で、今はシュッに興味を持ってますが、どうもCDが少ない。色々聴きたくとも選べないのが残念です。輸入盤になると豊富なようなのですが、声楽では詞の中身も知りたいし、ドイツ語で書かれても読めないし・・・(シュッツのマタイ受難曲聴く時にはバッハのマタイ受難曲の対訳を見ながら聴いています。) あと今の興味はD.ブクステフーデとM.マレあたり聴きたいと思います。理由を書いてたら長くなるのでやめときます。それからA.コレッリも興味があります。曲を聴いていたら次の流れはこうだろうと予測したりするものですが、最初にコレッリの曲を聴いて、予測が違っている事が再々で、この意外性が面白いと思います。実は娘のピアノコンクールの課題曲の中にコレッリのガボット(作品5の10番)があり、CD無いかと聴かれて探してみると、F.ブリュッヘンがリコーダーで演奏してたのがあったので聞かせてみました。楽器が違うのとテンポが速いが、まあ雰囲気だけでもという事で、他の生徒にも聞かせましたが、これを聴いて思ったのが、テンポもよく、子どもに弾かせるにはちょうどよいかも、何よりも演奏する楽しさが味わえるいい曲だと思いました。 しかし興味は尽きないもので、好みも変わるかも知れませんが今は聴きたい曲が多すぎて困っています。 |
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8. |
戦後60年を思う |
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今年の夏は、戦争終結から60年の節目の年という事を聞いたり見たりしました。 60年が節目かどうかはさて置き、確かに戦争を体験した人は高齢になり、戦争の記憶も遠くなってきた感があります。 私の娘の夏休みの課題で、戦争体験をレポートするという事がありました。身近で戦争体験なら爺ちゃんに聞けといってやったところ、爺ちゃんは何やら紙の束を引っ張り出してきました。それは、体験をつづったメモで、昭和19年、旧制日彰館中学を卒業して満州に渡り、昭和20年現地召集され昭和23年に帰国するまでの出来事を箇条書きにまとめてありました。娘がまとめるために目を通したのですが、その体験は、ごく平凡に暮らしている日常からは考えられない出来事ばかりでした。 よく戦争の体験を聞いたり読んだりしますが、どんなに大変な事であってもしょせん他人の体験で、なかなか自分の事のように真剣に思えないものだと思いますが、自分に一番身近な人の体験。しかもそれを読むと、よく生きていられたと思います。ほんのちょっとの差で生きて帰る事ができなかったろうと思います。生きて帰れなかったら私も存在していません。 戦争から生還した人、そして帰って来れなかった人はごくわずかな差であったろうと思います。たまたま生きて帰れた人は、戦後の人生を過して子どもや孫に囲まれて生活し、戦争で亡くなった人は若くして人生を終えてしまう、しかもそれはほんのちょっとした差の分かれ目です。私は自分の子どもたちにはそんな体験をさせたくないと思いましたが、戦争を体験して帰ってきた親たちの世代も自分の子どもたちに体験させたくなかったのだろうと思います。そのことが、戦後60年私たちの世代は平和の中で過し、戦争はだんだん遠くなってきたのだと思います。 ただ、世界は数々の紛争が続き、戦争の犠牲者は出続けています。どこそこで何十人死亡したと報道されても私たちは統計の数字くらいの認識しかなく、その死者一人一人、どんな生活をして、家族が何人いて、どんな夢があるか想像する事もありません。 この夏、テレビの原爆特集で、広島のきのこ雲を撮影したB29搭乗の科学者の広島訪問がありました。原爆資料館を見学し、被爆者の体験を聞きながらも被害の実態には目をつむり続ける姿が印象的でした。 今私たちは平和の中で過し、一部では平和ボケだと悪態をつかれていますが、戦争で死に直面している人たち、砲弾飛び交う中塹壕で地雷を抱え戦車を待つ父たちの世代の体験、そしてきのこ雲の下でどんなことが起こったかという想像力が不足しているのではないでしょうか。 新聞の書評を見て、「あの戦争は何だったのか」という本を買いました。あの戦争は何だったのか、戦争を始めた理由は何で、どの時点で戦争を終わらそうといて戦争を始めたのか。結局よくわからないという事の様です。 昭和11年の2・2・6事件をきっかけにしてだれも軍部に何もいわなくなった・・・ 国民の大多数が同じ方向を見て、少数意見が言えない雰囲気が作られるのは非常に不安な気持ちになります。 私のホームページでは政治的な意見は避けたいと思っていますが、一言だけいえば、多くの支持を集め大きな勢力はいいのですが、みんな同じ方向を向いてしまわないようにしてもらいたいと思います。そして、私の親たちの体験を忘れないように願っています。 |
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7. |
私の宗教観 |
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昨年暮れ、この夏と、わりかた親しい友人が亡くなった。こういう知らせは大概急なことで、連絡を受けた時一瞬意味を理解できずにいました。 とりあえず何をしたらいいのか戸惑ってしまう。どうすることも出来ないのだが・・・ 若いときはあまり関心が無くとも、年を重ねて行くうちに人の死に接することも多くなり、だんだん宗教的な関心も高くなって行くのだろう。 私も以前色々悩むような時、歎異抄に救われた思いがありました。どの部分で救われたとか、教義がどうかというのではなく、読んで行くうちに、なんか真剣に悩んでいることがどうでもいいような、たいしたことじゃ無いように思えてきて、急に肩の荷が下り、気持ちの余裕が出たような気がしました。 今では、私の好きなバッハの宗教曲からプロテスタントの死生観の一部を垣間見ました。キリスト教に限らず、浄土真宗にしてもその他の宗教でも基本は「信じなさい」の一言に集約されるのだと思いますが、私はまだその域までは達していません。今の先が見えない状況で暗い話は一杯あります。今後絶望的な状況に陥ることがないとも限りませんが、そんな時本当に信じることの意味がわかるのかもしれません。 ただ、生きて行くために宗教は必要であり、こんな事書くと不謹慎かと思われるかもしれませんが、それぞれの宗教の教義などはそれとして、自分なりに解釈して利用することもいいかなっと思ったりします。反社会的な宗旨は論外としても、とりあえず自分なりの世界を作ってしまってもいいのじゃないでしょうか。そうする内に自分が信ずるものが見つかるかもしれません。 |
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6. |
悲しい話 |
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一昨日、大学時代の友人の訃報を聞いた。 友だちの情報としては、ついこの前まで誰それが結婚したという話が多かったのに、もうこんな話を聞くようになったのかと思った。 その友だちは一人で牛を飼い始めて、2年くらい前に会ったときは、いつもと変わらず元気そうで、年賀状にも、夏になったらみんな集まってバーベキュウパーティしようと書いてあった。 このところBSEとかで景気が悪かったのか、行き詰まってしまったのか自ら命を絶ってしまった。 後になって思うことだが、電話1本入れとけば違ったのではないかと重たい気分になっています。 |
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5. |
私の好きな音楽 |
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私が最初に興味持ったのはシンプルなピアノ曲、20代前半はショパン。リスト当たりを良く聴いていました。結局私が好きなのは、ショパンではスケルツォとか、ポロネーズの5番などの大作もですが、繊細なプレリュードも好きです。ただし、プレリュードは1曲ずつじゃなく、全曲通して聴きたいですね。 その次にはモーツァルト、特にオペラに熱中しましたが、ちょうどその頃、中学校からの友人の影響でオリジナル楽器による演奏に興味を覚えました。 そして今ではバッハの声楽曲に夢中です。バッハの良さ(というよりもバロック全般に言えますが)はリズムだと思います。 バッハの声楽曲といえばやっぱり教会音楽ということになりますが、私のように宗教的には違う次元にいながら、知らず知らずのうちに聖書の世界へ引き込まれてしまっています。 カンタータにしても受難曲にしても、本気で聴こうと思えば宗教的背景を知らずしては理解できないと思います。有名なカンタータ106番にしても、旧約聖書の死の意味(別れ、苦しみ)と、新約聖書でいう死(永遠の安らぎ)との対比を知ってこその聴き終えた後の感動があると思います。 最近夢中はマタイ受難曲。聴けば聴くほど新しい発見があります。この曲も宗教的な背景を知らなければ、信仰の無いごく一般的な日本人では理解しきれないところがあると思っていたところ、礒山雅著「マタイ受難曲」という非常に分かりやすい本があって、大変助かりました。 マタイ受難曲のCDではカール・リヒターの1958年録音版とグスタフ・レオンハルト版、フィリップ・ヘレヴェッヘ版を持っており、あとBS2で没後250年記念番組を録画したヘレヴェッヘ指揮のものを聴いています。BS2の録画では、録音マイクの位置の関係か冒頭のコラールが弱いのが気になるところですが、後は流石ヘレヴェッヘといったところ。レオンハルト版もいいのですが、今はヘレヴェッヘが気に入っています。テンポもヘレヴェッヘが一番速く、冒頭合唱でもリヒター版9分50秒、レオンハルト版8分25秒に対して、ヘレヴェッヘ版6分58秒。このテンポが心地よくなってしまいます。(内容は心地よいとは違いますが) 別に速ければいい訳ではないのですが、レオンハルト版も名演だしヘレヴェッヘ版も素晴らしい演奏だと思います。リヒター版も世間では評判がいいし、決して悪い訳では無いのですが、全体にカッチリとした演奏で、隙がないというか余裕のないところが聴いていて疲れてしまいそうで、いつも聴くという気が起きてこないのです。 あと興味のあるのは鈴木雅明指揮、バッハ・コレギウム・ジャパンの演奏を聴いてみたいと思っています。(3枚組のCDはそんなに気軽に買えませんが) 一時バロック全般に興味がいっていましたが、今また、バッハのマタイが非常に聴きたくなっています。信仰の無い私が聴いていいのだろうか?聴くにしたがって、内容を理解しようとすればするほど、気になるところです。 最後に、礒山雅著「マタイ受難曲」のユダのアリアで、帰ってきた放蕩息子を解説しているところを読んでいて感じたことがあるのですが、以前私は色々悩んでいた時に歎異抄を読んでいて、この内容が悪人正儀説とどうも一致するのです。キリストの贖罪により人々が救われたという内容と、弥陀の本願により人々は救われているという内容もなんだか妙に一致するし、元々法然が中国の書物を読んでいて浄土宗の着想を得たとのことですが、年代が合うかどうかわかりませんが、中国にキリスト教の考え方が伝わっていたということもあり得るのかなと、まあ私が勝手に思っているのですが、一寸音楽から方向がずれてしまいました。 ということで今、私はマタイに夢中です。 |
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4. |
続・井上孝治 |
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以前、井上孝治氏の「想いでの街」という写真集について、雑記帳に書きましたが、続編みたいな「こどものいた街」と、ちょうど私が生れたころ(昭和30年代半ば)当時外国だった沖縄で撮られた「あの頃」という写真集を買いました。 当時の生活は今と比べ随分貧しかったみたいで、当時その時を生きていると実際には生活、そんなに楽じゃなかったのでしょうが、写っている人(特に子供)を見ていると何だか幸せそうに思えてきます。果たして、30年、40年後に今をふり返って「あの頃は良かった」と思える時が来るのでしょうか。 |
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3. |
アマチュア写真家〜植田正治さんを偲んで |
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植田正治氏が亡くなられました。私たちと植田さんは直接の関係がありませんが、私たちの写真サークルでお世話になっている池本喜巳さんが永く植田さんの助手をされ、機会あるごとに色々と話を伺い、間接的ではありますが植田さんの影響は受けていると思います。 今から15年くらい前になると思います。池本さんが植田さんを三次に連れて来られ、写真教室を行ったことがあります。それから何年かして、私がいつもの写真店にいると、ふらりと植田さんが訪ねて来られたことがありました。何でも広島からの帰り道、以前の写真教室を思いだされて三次へ途中下車されたそうで、近くの喫茶店で短い時間でありましたが話をする機会がありました。その時、池本さんの紹介で私の写真がフォトコンテスト誌の口絵に載ったことを話したことを覚えています。 私たちの写真は当然ながら趣味でやっています。しかし趣味といっても関わり方は人それぞれ、私たちのグループの中でもとても趣味の域に留まりそうになく写真に命かけている人もいます(池本さんもよくいわれます「丸田君は命を削って写真撮ってる」と)。そんな私たちアマチュアとプロとはどのように違うのでしょうか。写真の表現方法にしても、写真の発表の仕方にしても、アマチュアだからこの位でいいとか、プロでないのだからそこまでしなくてもと考えたりしないでしょうか。 しかし、アマチュアだから自分が好きなことができるし、アマチュアだから、あれはいけない、これは駄目だという制約が無く、それぞれ個々の自由な発想で何をやっても構わないし、いいか悪いかは別にしてもアマチュアだからこそ自由に表現できるのだと思います。 この度、私たちの写真サークル「写快人集団」は広島で写真展をしました。この写真展では、通常の写真展での展示方法にとらわれない自由な発想の展示にこだわりました。これがいいか悪いかはご覧になられた皆さんの判断に任せるにして、たとえ自己満足だといわれても、アマチュアなのだからそれでも構わないと思います。 植田さんは、亡くなられるまで現役で、しかもアマチュア精神を持った写真家だと思います。このアマチュア精神は、ご自身でも申されたことがあると思います。 植田さんの写真は、もう50年も前に撮られた写真なのに、今の目でみても新鮮でモダンです。それは、植田さんの感性であり、他の誰でもなく植田さんの個性によるものだと思います。この風景は写真になるとか、いつか誰かが撮った二番煎じの写真でなく、自分が撮りたい写真を撮る。(あくまで自己本位で)これこそアマチュアの特権だと思います。 写真家としては中央(東京)で活動された方が有利なことも多かったと思いますが、地方(山陰)で作品を作り続けられ、またそれが植田さんの作品スタイルだったと思います。植田さんの人柄にもよると思いますが、周りにはいつも写真同好の皆さんが集まっていたそうで、私たちが植田さんの写真美術館へ訪ねていっても、いつも丁寧に説明していただきました。 最後に池本さんから伺ったエピソードを一つ。あるとき植田さんが「池本君、最近いい写真が撮れないんだよ」といわれたそうです。その時池本さんは、植田さんは80歳を過ぎてもまだ写真に真剣に取り組み、写真を撮り続けようという気持ちが強い。そういう意味で現役の写真家だと思われたそうです。 |
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![]() 植田正治写真美術館にて 池本さん、私、植田さん |
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1. |
想い出の街〜井上孝治 |
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写真を文章で表現することは不可能なので、ここで、写真の中身を細かく説明するつもりはありませんが、私はこの写真集を見たとき、心の中でモヤモヤしたものがスッーと消えるような印象がありました。それというのも、この写真は私が目指す方向にある写真で、私が撮りたい写真がどういうものかを示された思いがしました。 しかし、併せて私の写真とレベルの違いを突きつけられ、ショックを受けたことも事実です。 私が日ごろから撮り続けたのは、変わりゆく(日常的な)風景で、しかもほとんど身近な場所の変化です。この10年でほとんど変わらないものもあれば、大きく変ったものもあり、もっと歳月が過ぎなければ評価できないかも知れません。 この「想い出の街」は、生き生きと人々の描写も素晴らしいのですが、何といっても時代背景がしっかりと撮られていることにつきると思います。撮影者の井上孝治さんは、写真コンテストに応募しては次々と上位入賞を繰り返した実績の持ち主ですが、その実績よりも30数年間押し入れに眠り続けていたこの写真は、コンクールとは無縁(出しても入賞しないような)であるが、魅力があふれた写真と思います。コンクールを否定するつもりはありませんが、人に評価してもらう写真と、自分が撮りたい写真との違いがあると思います。私たち写快人の講師である池本さんは、趣味として写真を続け、何が残るかを問題にされます。賞をたくさん取ることもその内の1つであり、作品として残すのも1つであり・・・結局色々な(ジャンル)ものを撮ったが、それでは自分の作品は何なんだと問われたとき、これだと言えるものがあるかどうか。本当に自分が撮りたかったものは何だったかが問われています。どうせ趣味なんだから、そこまでこだわる必要が無いじゃないかといわれたら、その通りなのですが、自分が長い間趣味として写真を続けながら、結局何にも残らないのは、私は虚しいような気がします。 そういう意味からもこの「想い出の街」は、昭和20年代末から30年代はじめ頃の博多を撮り続けた写真集ですが、単なる記録写真でもなく魅力にあふれ、撮影当時は珍しくもない写真かもしれませんが、歳月が過ぎるにしたがって価値が出てくる写真だと思います。 〜私が生まれる前の写真なのに何故か懐かしさを感じてしまいます。 皆さん、ぜひ一度この写真集をご覧になってはいかがですか。参考までにこの「想い出の街」という写真集は、河出書房新社から出版されています。 |
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2. |
CONTAXのレンズ |
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CONTAXのレンズというよりも、Zeissのレンズといったほうがいいでしょうね。このレンズの素晴らしさは昔から有名でしたよね。 私の写真サークルでCONTAXを使っている人がいて、写真を見るたびにCONTAXの描写にあこがれるようになりました。といっても、私がこのサークルに加わった頃、私を含め周りはCanonだらけ、撮影会なんかF-1がゴロゴロ状態でした。今まで使っていた機材を変えるということはなかなか難しいですね。これまで系統立ててそろえた機材をチャラにして、新たに買いそろえるというのは思いっきりがいります。Canonがマニアルフォーカスを切り捨てたのが私にとってはキッカケとなりましたが、いつの間にか私たちのサークルの例会写真の機材を見ると、今ではまるでCONTAXクラブみたいになっています。 確かにZeissのレンズは素晴らしいのですが、CONTAXの中でもレンズの善し悪しがあるようです。悪いと言ってもレベルが高く、他のレンズに比べ劣るわけでも無いのですが、ここで、私たちがこれぞCONTAXというようなレンズを掲げてみようと思います。 Aposonnar 200mm f2.0 あるとき、サークルの人に、こんなレンズ見てみる?と、見せてくれたのが200mmですが、ファインダーを覗いた瞬間、ウッと思ってしまいました。本当に覗いただけで衝撃を受けたといったほうがいいでしょう。その証拠に、これを覗いた友達2人がこのレンズを即注文してしまったくらいですから。即注文といっても定価98万円ですよ。私も欲しいと思いましたが、流石に思いとどまりました。 このレンズを覗いて感動したのはたぶん、ボケが非常に美しかったことと、見せてくれた人によると望遠でありながら被写界深度があり、ピントが合わせやすいということですが、確かにピントがピタッと合う感じは良かったと思います。 Planar 85mm f1.2 私は先の200mmの友人からCanon 85mm f1.2Lを売ってもらったのですが、それはこのレンズ(50周年記念モデル)を買う資金の一部になっています。これもファインダーをのぞかせてもらいましたが、ピントが合っていないところがまるでソフトフォーカスをかけたようにフワッとした感じで、ボケの美しさが格別でした。ピントも合いやすい感じでした。 Distagon 15mm f3.5 これは私も欲しいと思ったレンズですが、諦めました。定価で70万円もするレンズですから。しかしCONTAXの広角の特徴ですかね、絞ってパンフォーカスで撮っても見事に立体感がありますから。ちなみに例の友人は10年かけて買ったそうです。(前に注文したときは35万円だったのに製造中止になってしまい、次に出てきたときは値段が倍になっていたそうです) F-Distagon16mm f2.8(フィッシュアイ) これも例の友人の話ですが世界一の魚眼レンズ・・・ちょっと比較していないのでその言葉を信ずるのみですね。 Distagon 21mm f2.8 これはCONTAXの中では新しいほうのレンズで、あまり目立っていませんがいいレンズですよ。15mmが買えないのでいつかは欲しいレンズです。シャープでありながら質感もいいし、15mm同様立体感もよくでています。このレンズの作品を見ると、バックも主体もどちらもピントが合っているのに不思議とノッペリでなく、前後の感じがよくでています。 Distagon 28mm f2.0 これも友人が見せてくれたのですが、このレンズは広角というよりも中望遠といった感じです。画角は確かに広いのですがファインダーを覗いても、仕上がった写真を見ても広角にしては深度が深くなく、これが28mmといった感じでは無いのです。作品を見たとき私はてっきり85mmで撮った写真だと思ったくらいですから。よく、見た目中望遠、撮った写真はやっぱり中望遠といっています。 Distagon 35mm f1.4 やっと私が持っているレンズが登場ですね、このレンズはかなり大きいほうで、100mm f2.0とほとんど同じサイズで、冗談抜きで100mmと間違えて持ちだしたことがあります。サイズはともかく質感はかなり上質で、f8くらいに絞るとかなりシャープな描写になります。これも21mm同様立体感はよくでています。ただ、開けたときはピントに注意が必要ですね。ピントはどちらかというと合わせ易くない方に入ると思います。 Tessar 45mm f2.8 このレンズは、性能がいいか悪いとでなく、コンパクトさと柔らかな描写の個性がいいと思います。ただ、このレンズを使っている人によれば、絞るとピント位置が変わるような気がするということで、私は深度が稼げるf8か、ピント移動が無い開放のf2.8のどちらかしか使わないようにしています。 Planar 55mm f1.2 私はキャノンの55mmを愛用していましたが、これは比較するのも恐れ多いですね。標準というより深度が浅いので中望遠的に使ったほうがいいレンズと思います。まず絞ってもピントを合わせた所以外はボケてしまいます。最近ではこのクラスの価格がそんなに高く感じられなくなったのは200mmとか15mmの影響で感覚がマヒしているのでしょうか。 Planar 100mm f2.0 中望遠レンズとしては、85mm f1.4が多く出ているようですが、このレンズはピントが難しく、CONTAXの中ではそんなにいい方では無いような気がします。100mmは画面の隅々までカリッとした描写で、しっかりとしたところがいい感じですね。初めてファインダーを覗いたとき高画質を実感しました。ピントは合わせやすいし、撮影した写真を見ると質感とかボケの美しさは流石Zeissですね。 Makro Planar100mm f2.8(マクロ) マクロとしてこのレンズはシャープな描写といい質感といい他に対抗するようなレンズは無いように思います。 Planar 135mm f2.0 このレンズは評判が高いレンズですね、今考えてみると50周年モデルとして27万円くらいで出ていましたが、価値観にもよりますが、この値段ならお買い得だったと思います。 T-2用Sonnar 38mm f2.8 番外編として私はこのコンパクトカメラの柔らかな描写を非常に気に入っています。ピントについては工夫がいりますが、バッチリと合ったときにはシャープですよ。 その他にも私たちのグループ内で評判がいいのがPlanar50mmf1.7。これは一般にはf1.4の方がよく出ていますが、これも85mm f1.4と同じくピント合わせが難しく、その点f1.7の方がピントが合わせやすく描写は決してf1.4に負けていませんし気軽に使えるレンズですね。 Distagon 35mm f2.8もピントの面で1.4よりも合わせやすいので、両方使っている友人がいます。 Distagon 25mm f2.8は、45mmと同様に画質がどうのこうのというよりは、写りの個性が面白いレンズです。 Distagon 18mm f4.0は周辺光量の落ち具合がいい感じだと思います。 私たちのサークル内でCONTAXの中で使いにくく評判が悪いのが、85mm f1.4や50mm f1.4あたりが、ピント合わせに苦労するレンズで、CONTAXといえば、この両レンズが多く使われているようですが、私たちの意見としては、使うなら85mm f1.2か100mm f2.0あるいは50mm f1.7といったところです。また、CONTAXのズームレンズは高い、重い、ピントが合わないの3拍子が揃い、ちょっと使う気になれません。28-80mmを見たことがありますが、ファインダーを覗いても何処でピントが合っているのかさっぱりわかりませんでした。 また友人からぜひ言っといてくれとあったのが、Mirotar 500mm f8.0、このレンズは軽すぎてバランス的に使いにくいそうです。 まあこんなバブリーな環境の中、私はなんとか必要最低限の機材でやっています。ただ、あと15mm は無理としても21mm(これとて安い訳ではありませんが)や、200mmクラスのレンズがあればなあと思っています。 |
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