四国八十八箇所霊場巡り




1998年のことです。
私ども夫婦は「百名山」に挑戦して来て、何となく、歳をとったら歩いて四国八十八ヵ所霊場巡りをしましょうと話してきました。
ところが義母の介護が始まって、なかなか終わらず、夫は、これ以上歳を取ると体力的に心配になって来て、
ここは私が譲って、夫は一人で歩き遍路を始めることになったのです。
まだ仕事をしているため、一度には巡れず、休みを利用して1週間とか10日間かけて少しずつ巡ることにしました。

歩き遍路は区切り遍路でも、やはり難行のようです。
私どもは富士山、北岳、穂高連峰などに登ってきましたから、夫も脚には自信があったのですが、
思わぬ敵が舗装道路なのです。靴も登山靴ではなく、ウオーキングシューズを選びに選んだのですが。

 
4月、夫は、まず1番札所霊山寺から23番札所薬王寺までを8日間で、折しも「花遍路」と云われる季節、
花を愛で、楽しみながら巡って帰ってきました。
これらは徳島県にあり、「発心の道場」と云われる通り、寺寺が比較的近くにあり、また歩き易く、 次もと思わせる道程だそうです。
お接待もあって、大変なだけに思いがけない「お接待」は嬉しく、感激するようです。
お接待自体、修行と見なされ、お遍路にお接待するのは弘法大師にするのと同じと云われます。

ところがです。その9月、
次回は、24番最御崎寺から始めるのではなく、23番薬王寺の近くまで交通機関を使って行って、
薬王寺から歩き始めるのです。そして23番から24番までは、84キロメートルの距離があります。
お寺にお参りすることなく、中2泊して、ただただ歩き続ける訳です。
この道は四国の東海岸沿いの国道で、紀伊水道を左手に、何処までも続く同じような景色を見ながら、 歩き続けるのです。
夫が歩いていた時は、台風6号7号8号と続けて四国を襲い、高知の雨はものすごい降りだそうで、
その中を歩いて、夫は脚を傷めてしまいました。
それでも、24番、25番津照寺まで巡りましたが、痛くて、どうしても歩けなくなり、帰ってきました。

整形外科に行きましたら、もう少しで再起不能になるところだったそうです。

翌1999年4月、夫は足が治って、また歩き始め、28番大日寺まで巡り、 10月に37番岩本寺まで巡りました。

我が夫は、自分が感動したことは愛する妻にも同じ感動を味わってほしいと思う、ありがたいお方なのです。
その頃、NHKテレビで四国巡礼の番組があって、彼はビデオに撮って、私にも見せてくれるのですが、
私は巡っていませんから、もう一つ理解できず、上の空です。
それで、私に、自分が休みの時、バスツアーででも巡ってきたらと勧めてくれました。
幸い、福山からは日曜日に、日帰りとか1泊で数ヶ寺ずつ巡るツアーが出ていますので、それで巡ることにしました。
ただ、残念ながら、1番札所から巡るツアーは、日にちの都合がつかず、
1999年11月、
夫が足を痛めた24番札所・最御崎寺から、32番札所・禅師峰寺までの1泊のツアーに参加することになりました。
24番札所から順に回るのではなく、まず28番札所・大日寺に行き、初めての人は巡拝用品を購入します。
白衣、納経帳、納め札、それに夫が苦労してお遍路しているので、納経帳の外、記念にするため、
掛け軸にも記帳していただこうとお軸も買いました。
29番・国分寺に回ってから、太平洋南海岸沿いに、室戸岬にある24番・最御崎寺に行き、25番・津照寺、
26番・金剛頂寺、その宿坊で1泊しました。
紅葉が美しく、よく晴れて波も穏やかな日でした。
太平洋沿岸をバスで走っていて、夫は、大雨の中、この辺りで痛めた足を引きずって歩いていたのだと
思うと涙が出てきました。
その宿坊に、夫は予約のため電話したのですが、一人客は、満員ですと断られたそうです。
最近は団体客が多いため、大抵の宿坊で一人客は断られます。
27番・神峰寺は山の上にあり、タクシーに乗り換えて上がります。紅葉が美しいお寺です。
昼食は、高知市内でかつおのたたきの定食をいただきました。
31番・竹林寺は赤い五重塔に紅葉が映えます。32番・禅師峰寺まで巡り、
紅葉も楽しんで瀬戸大橋を渡って帰りました。

2000年
 
3月、夫は、37番岩本寺から歩き始め、先ずは足摺岬の38番金剛福寺まで歩く訳です。
足摺岬辺りは鉄道がなく、バスも殆どありませんから、一度帰るとまた出かけるのは大変ですから、
43番明石寺まで一度に周りました。
土佐は「修行の道場」と言われるだけに大変なようです。
この辺りが済めば、その後はマラソンの復路の感じになるのではないでしょうか。

私は一度巡った後、都合が付かず、行けないでいたのですが、読売旅行が、
2000年3月から、
1番札所から巡るツアーを始めるので、それに参加することにして、3月5日に行きました。

前日からの雨も上がり、瀬戸大橋を渡る時は霞がかかっていましたが、
瀬戸内海の景色は墨絵のような美しさでした。
1番札所・霊山寺はたいへんな人で、やはり遍路ブームと思ったのですが、2番札所・極楽寺は人が少なく、
1番札所は観光客が多かったようです。
3番・金泉寺、4番・大日寺、5番・地蔵寺、6番・安楽寺と巡ってきました。

初めてお参りした時は、「先達(せんだつ)」という先輩が、お参りの仕方を教えて下さって、
その方を見習ってお参りしました。
本堂と大師堂でお灯明とお線香を上げ、納め札を納め、般若心経を唱えてお参りし、納経帳に記帳していただくのです。
この度は、その説明もなく、めいめい勝手にお参りするので、初めての方は分からなかったようです。
特に、この読売旅行では、納経帳は添乗員が纏めて納経してくれるのですが、お軸は自分で納経しなければならず、 札所についたら、私はまず納経所に走って、お軸にご朱印をいただいて、それからお参りしましたから、 何とも忙しいお参りでした。
夫のような感動を味わえるものではありませんが、何年かかるか分かりませんが、夫の後を追って行こうと思っています。

3月26日、7番・十楽寺、8番・熊谷寺、9番・法輪寺、10番・切幡寺、11番・藤井寺。
その後、飛んで、
4月23日、18番・恩山寺、19番・立江寺、20番・鶴林寺、
5月14日、21番・太龍寺、22番・平等寺、23番・薬王寺
6月25日、33番・雪渓寺、34番・種間寺、35番・清滝寺、36番・清龍寺
7月9日、10日、37番・岩本寺、38番・金剛福寺、39番・延光寺、40番・観自在寺、41番・龍光寺、42番・仏木寺、43番・明石寺
今までは日帰りでしたが、今回は、足摺岬の金剛福寺がありましたから、足摺岬で一泊しました。
7月9日、瀬戸大橋、高知自動車道を通って、37番札所・岩本寺へ行き、次に39番・延光寺にお参りして、四万十川に沿って、足摺岬まで行きました。 7月10日、足摺岬でご来光を拝みたくて、岬まで出かけましたが、生憎の曇り空で、残念ながらご来光を拝むことはできませんでした。
足摺岬の感想は、
足摺の 岬の沖に 船もなし ただ遥々と 海ぞ広がる      幸

朝食後、金剛福寺にお参りして、そこで椿の刺繍の綺麗なお守りを、義母と家政婦さん、そして自分用に求めました。
40番・観自在寺、41番・龍光寺、42番・仏木寺、43番札所・明石寺まで巡ってきました。
今回は、瀬戸大橋から高知自動車道を通って、愛媛、しまなみ海道と、四国を半周したわけです。
これで、夫に追いつきましたので、後は夫と一緒に歩きたいと思っているのですが。
抜けていた
10月25日、12番・焼山寺、13番・大日寺、14番・常楽寺、15番・国分寺、16番・観音寺、17番・井戸寺、

バス遍路では朝の出発が早く、札所に着くまで眠ってしまいます。納経帳は途中で添乗員が集めて、まとめて納経してくれるのですが、 お軸は個人でいただくようになっていて、着いてからは忙しく、走るようにしてお参りします。
それで感想は、
寝て行って 走って参る バス遍路      幸

 
不思議なことに、私が追いかけるようにバスツアーで43番明石寺まで巡った後、義母の介護がお休みになりました。
それで、夫が「これからは一緒に歩かないか」と誘ってくれました。

12月23日から5日間、2人で44番・大宝寺から53番・円明寺まで「歩き遍路」をすることにしました。
福山から今治までの高速バスで、しまなみ海道を通って今治へ行き、電車に乗り換え、夜遅く卯之町の旅館に着き、
いよいよ最初の日の出発です。
遍路道には、へんろみち保存協力会の道標や赤い矢印や遍路姿の小さいシールが貼ってあって、それを目印に歩くのだそうです。
朝7時すぎ、宿の門を出ると一面の濃い霧で、ほとんど見通しがききません。しかも大変寒いです。
鳥坂峠に向かって国道と平行に走る旧道を行きます。通学路らしく次から次へと小学生が集団で、
あるいは中学生が自転車に乗ってこちらに向かって来ます。みんな元気よく挨拶します。
私達も挨拶を返します。ほんとに気持がいいです。ほとんど全校児童生徒に挨拶をしたのではないかと思うほどです。

四つ角などで道が分からなくなったら、そのシールを探します。シールを見つけるとホッとします。
8時半頃、やっと日が差し始め、陸橋が見えたので、そこで休憩することにしました。
夫は、念のため、地図で現在位置をチェックして、驚きました。
目の前に「びっくり大ちょうちん」が見えるのです。
地図によると、「びっくり大ちょうちん」は鳥坂トンネルの入口付近にあるはずなのだそうです。
ともかく、このままではトンネルに入ってしまうので、遍路道があるだろうと思う方向へ進路を変更します。
しかし、どうしても分かりません。道を聞こうにも近くに人はいません。あきらめて国道に戻ります。

夫は納得がいかないらしく、所番地を書いた表札の住宅を探します。やっとありました。
なんのことはない、まだ東多田のあたりでトンネルのずうっと手前にいるのです。
その後、予定通り遍路道に入り、鳥坂峠を越え札掛大師まで杉林のなかを行きます。
この遍路道は地図に「鳥坂トンネルのルートより1時間余計にかかる」とありますが、
本当にたっぷり1時間は余計にかかったように思うほど長い道のりでした。

快晴のなか、十夜ヶ橋に着き、お参りします。この橋の下にお大師さまが厚い布団やら錦やらを、
5枚くらい、掛けて寝ていらっしゃいました。
そこからしばらく行き、今日の宿につきました。

2日目、またもや深い霧のなかを国道56号線を行き、まもなく内子町に着きました。
八日市護国の町並み保存地区を見学していると、朝早くから観光客がぞろぞろと歩いています。
歩いていると、「お遍路さん、お遍路さん」と呼ぶ声がします。振り返ると私どもを呼んでいるのです。
立ち止まると近づいてきて、「お接待です」と言って、小さい熨斗袋を渡されました。
後でみると500円玉が入っていました。何だか感動してしまいました。
千人宿大師堂、楽水大師を過ぎ、突合分岐から南回りコースを小田に向け進みます。
干し柿のツララが並ぶ集落を歩いていると、また「お遍路さん」と呼び止められました。
見ると、女性が一連の干し柿を持っていらして、「これ、お接待です」とくださいました。

新道を来たので道に迷いかけ、近くの人に旅館の位置を聞いていたら、
突然「藤田さん」と呼ぶ声がします。RV車に乗ったひげのおじさんがこちらを呼んでいます。
それは、今晩泊まる予定の旅館のご主人でした。

3日目は、いよいよ今回の区切打ちの最大の山場です。
小田町日野川を過ぎ、三島神社の脇を遍路道に入り、少し行くと国道と出会いますが、
ここに道案内がありました。「これ以上は、道が荒れている」というのです。
地図によると、遍路道は途中で北コースの宮成方面を左に分けるようになっています。
道案内を信じ、国道を行くことにしました。まもなく真弓トンネルを過ぎ、ひたすら落合分岐へ、
さらに河口を目指します。

この河口が標高400、その先の遍路道入口の槙谷が標高550、さらに登って最高地点は標高770です。
これが相当に苦しい急登です。
ここまでくれば、後は尾根道のはず、と思っていたらとんでもない、45番札所・岩屋寺へは
この尾根からまっさかさまに標高差150mほど下がるのです。

岩屋寺に着いたのが午後3時半頃、そこで参拝を済ませ、またまたすごい坂を下ります。
足元に気を取られて、圧倒的な岩壁と礫岩峰を見落とすところでした。
44番・太宝寺からの巡拝ルートを来れば、この坂道を登らなければならないと思うと、
これまた大変だと同情します。
予定の国民宿舎に着き、3日目を終わりました。今夜はクリスマス・イブです。

4日目は、少し歩き出すと雨になりました。しかも大変寒いです。
今日は太宝寺へと逆打ちになり、向こうから外国の方が来られて、岩屋寺への道を聞かれました。
もう少し暖かければ、お話したかったのですが、あまりの寒さに、そのまま別れました。
峠御堂トンネルの手前で遍路道に入りましたが、
道に迷ってしまい、標高差100m以上を引き返す羽目になりました。
結局、トンネルを通り、44番・太宝寺に参拝、久万の町から国道33号線を進みます。
まっすぐに伸びたヒノキ林が素晴らしいです。
物凄く寒い。大分前から、雨にあられが混じって強い風に乗って吹き付けてきます。
時には、風の勢いに押されて前に進めないほどです。
あまり車の通らない所で道路建設をしていて、車の誘導係りは寒くて大変だろうと、思わず「ご苦労様」と声をかけました。
三坂峠までの長い長いのぼりと、峠からの遍路道の急坂を転がるように下り降りました。
やっとの思いで、46番・浄瑠璃寺に着き、参拝を終えて、納経所に行きますと、
朝からの嵐で、松の大木が倒れたそうで、長さ15センチはある大きな松ボックリをくださいました。
これは、今でも別荘に飾っています。
すぐ近くの宿に入りましたが、ここでお遍路の方から金色の納め札をいただきました。
金色の納め札は、50回以上巡った方だけが納められる札です。
そんなに繰り返してお参りするなんて、私には想像もできません。すごいですねえ。

5日目は、今回区切り打ちの最終日で、予定は53番・円明寺で打ち終わり、
すぐ近くの伊予和気駅から列車に乗って帰ります。
今日も寒い。しかし、幸いに雨は降っていません。47番・八坂寺、48番・西林寺、49番・浄土寺、50番・繁多寺と、
今日は大いに稼げます。
51番・石手寺に御参りし、道後温泉を通ります。温泉に入りたいなあと思いながら、記念撮影だけして通り過ぎます。
松山の市街を南廻り(古三津廻り)で進むうち、またもや道を間違えてしまったようです。

こちらのコースを採ったのは、もし私がへばった時には三津浜駅から列車に乗って帰るつもりだったそうです。
そこで、歩きながら、私に聞くのです。
「この先の駅でお仕舞いにして帰ろうか」と。
何をこれしき「予定通り、行きましょう」と、私は答えで、早足でずんずん進んで行きました。
平坦な道を歩くのでしたら、私のほうが強いです。
ともかく52番・太山寺、53番・円明寺と参拝しました。
和気駅から今治へ電車で、そして、しまなみ海道を高速バスで、夜遅くなりましたが、帰宅しました。

2001年
 
私は、6月20日に著書「インターネットは介護主婦の救い主」を出版して以来、忙しくなり、
また、横浜に帰っていることも多くなりました。
夫は、その間に9月12日から、前回最後の札所、53番・円明寺から75番・善通寺まで一人で巡ってしまいました。

それで、私は仕方なく、またバスツアーで追いかける羽目になったのですが、
54番・延命寺からのツアーは、もう終っていて、次は半年先にしかないため、
10月8日に、71番・弥谷寺から78番・郷照寺
10月28日に、79番・高照院から、84番・屋島寺まで巡りました。

でも、54番から70番が抜けてしまったのです。
ところが、夫は今年中に満願成就したいので、「最後は一緒に満願成就にしよう」と云うのです。
何んとありがたいお言葉でしょう。
急遽、私は、車で一人で54番・延命寺から70番・本山寺まで巡ることにしたのです。

しし座流星群が降り注いだ11月19日、
目がさめて、時計を見たら2時45分でした。
それで、庭へ出て見上げたら、東の方で流星が放射状に走るのが見えました。
明るく大きく長いのやら薄く細いのやら、次から次へと流れるというより、
走るという感じでした。一昨年より多かったです。そして、またベッドに潜り込みました。

それでも、5時起きして、まだ流星群を見ることができるかと庭に出ましたら、
真上の方で走っていましたが、もう数は少なかったです。
急いで身支度して、夫のためにお味噌汁を作って朝食の用意をして、 朝6時に車で出発しました。
まず、芦田川沿いの道を東に向けて走りますが、まだ日は昇らず、
濃い曙色の東の空に山々の黒いシルエットが映えて、その中で明けの明星が一際輝いています。
福山に出て、国道2号線を尾道に向けて走り、しまなみ海道に入って、
新尾道大橋にかかると、少し明けかかった空と、黒い山々に白い雲海がたなびき、
その前には、まだ灰色の瀬戸内海が横たわって、幻想的な墨絵の世界でした。

私は、しまなみ海道はバスでは何度も通っていますが、
開通する前のイベントで全線歩きましたので、自分で運転していると、その時の感慨が呼び戻ってきます。
そのイベントでは、島の中も入れて120キロに設定されて、それを3日間で歩いて大変だったのです。
しまなみ海道をご覧ください。 島と島をつなぐ10の橋を渡って、最後の来島大橋のSAで休憩して、
これからの道順を確かめると共に、心の準備をしたのでした。

今治で降りて、
54番札所・延命寺、55番・南光坊、56番・泰山寺、57番・栄福寺、58番・仙遊寺、59番・国分寺、
道が分からなくなったので、さぬきうどんの店でお昼休みしてから道を尋ね、61番・香園寺、62番・宝寿寺、
63番・吉祥寺と巡って、標高700mの60番・横峰寺へ。山道を大分行ってから、1800円の有料の林道になります。
そこからは一方は崖で、車一台が通るのがやっとの細いつづら折れの山道を、5キロ登っていくのですが、
観光バスは行かないのですが、マイクロバスが往復していて、それとすれ違うのが大変です。
対向車が来たら、どうしようと気を遣い、思いのほか疲れました。
でも、1200年前に、四国の山の上に大きなお堂を、いくつも建てたものだと感心します。
64番・前神寺に行ってから、伊予西条のホテルに入りました。
日本料理の店で、生ビールとお弁当をいただいたら、疲れがどっと出て、
6時半にはお風呂に入って、そのままベッドに転がり込み、寝てしまいました。

翌20日、7時からの朝食で、レストランで、同じテーブルに感じのいいご夫婦がいらっしゃいます。
お遍路ですかと伺いますと、西条の出身で、今日から絵の個展をするとのこと。
話していると、何と鎌倉にお住まいで、鎌倉能舞台の中森先生をよくご存知だそうで、 奇遇なことで驚いてしまいました。
個展を拝見したかったのですが、失礼して、8時にホテルを出発しました。
11号線を高松に向けて走り、65番・三角寺に向かいます。曲がるところが分からなくて、道の駅で尋ねましたら、
行き過ぎていてバック。
また細い山道で、道路の整備が悪く、横峰寺よりこわかったです。
大体、車で行くべきところではないのですから、仕方がありません。
66番札所・雲辺寺は927mの山の上にあって、ここも山道を上がって行った後、ロープウエイで登りましたが、
ロープウエイを降りると気温7度Cとありましたが、風がなく寒くはなかったです。
67番・大興寺は簡単でした。68番・神恵寺、69番・観音寺は、同じ場所にあります。
すぐ前に出発したマイクロバスの後に付いて行きましたが、その人も不案内らしく、車を道の脇に止めましたので、
私は追い越して行きましたら、後から走ってきました。
二股に分かれたところで、その車は大きい道に行きましたので、私は間違ったのかと車を止めて、
お店の人に聞きましたら、私の方が正しくて先に着き、マイクロバスは後から来ました。
道を迷うのは私だけではないと何だか安心しました。
70番・本山寺の本堂は国宝だそうです。
できれば、85番・八栗寺まで行きたかったのですが、疲れてしまい、そのまま今度は瀬戸大橋を渡って広島県新市町まで帰りました。
 
11月22日、夫は満願成就に向けて出かけました。

25日、
私は、朝出発して、高松に着きました。JR高松駅から琴電高松駅に行くのに道が分からなくて、
通りすがりのお年寄りに尋ねたら、親切に教えてくださって、それからお財布から、200円出して、
「これ、お接待です。飲み物でも買ってください」と渡されました。
まだお遍路姿ではないのに、菅笠を持っていたのでお遍路と分ったようですが、お接待を受けて申し訳ない気がしました。
琴電八栗で降りて、ケーブル口まで歩き、ケーブルで頂上に登ります。
団体客がが多いので、急いで境内に入りました。夫はもう着いていました。
85番・八栗寺へお参りしました。
86番・志度寺への途中に平賀源内の生家があります。そして、近くに源内焼きというお菓子を作っている店があって、
五個だけ買いましたが、これが大変美味しくて、もっと買えばよかったと思いました。
87番・長尾寺とお参りして、あずま旅館に泊りました。
ここの女将は明るい方で、いろいろと苦労話をなさるのですが、「苦労の後にはお大師様が沢山のお客をくださる」そうです。

26日、
女将は発つ時には、お接待ですと、宿泊費を1000円、即ちビール大を差し引いて、その上オロナミンCを一本ずつくださって、
道の曲がり角まで見送ってくれました。
いよいよ結願の88番・大窪寺へ向かいます。
道の両側に植えられた、色とりどりの菊の花を楽しみ、その向こうに広がる畑を眺めながら歩きます。
そうこうしていると、ご夫婦のお遍路に追いつかれました。
何でも今日結願して、飛行機で東京まで帰るそうで、車道を通って、急いで行かれました。
私どもは、旧遍路道の山道を通って、女体山を経由する道を選びましたが、これは最後は道というより 急な岩登りでした。

そこを降りて、標識を見ましたら、また山に入る道は、大窪寺まで1.1キロですが、夫が足が痛いというので、
林道を行くことにしました。紅葉が錦織のようで本当に綺麗で楽しみながら歩いて、そろそろ着く頃ではないかと
思っていましたら、標識があって、あと2.6キロとありました。何とものすごい遠回りをしていたのです。
がっかりしながら、それでも仕方なく進み、予定より1時間遅れて、大窪寺に着きました。
連休ということもあって、観光バスも多く、すごい人です。
私は、夫と私の納経帳とお軸を持って、納経所に急ぎました。

お参りしてから、あずま旅館の女将に勧められた八十八庵で、「味噌打ち込みうどん」をいただきました。
周りの人たちは結願して、のんびりとしてお土産などを買っているのに、私達は、今晩の宿がある切幡寺に向けて出発です。
あわただしく準備していると、前の客が、もう終わりではないのですかと聞きます。
「これから1番・霊山寺に向けて出発します」というと驚いた顔をしていました。
そこから1番・霊山寺へ向かうのですが、42キロあって途中、切幡寺で1泊します。
夫は、途中、ビックリするような転び方をして、唇と肩に怪我しました。
1時間遅れただけ、遅くなり、5時過ぎて切幡寺の坂本旅館に着きました。

27日
朝7時に出発して、バスツアーでは通らない熊谷寺の惣門で写真を撮って、霊山寺へ向かいます。
車が近づいて止まります。「お遍路さん、お接待です。僕もお遍路したことがあるのです」と言って、
お茶のペットボトル2本とスナック菓子の入ったポリ袋を渡して走り去られました。あっけに取られながらも嬉しかったです。
金泉寺の近くまで来た時、お店の中から「お遍路さんお遍路さん、お接待です。こちらにどうぞ」と誘われました。
椅子をすすめられて座ると、その男性が目の前で組紐を使ってトンボを作ってくれました。
その人は竹の彫刻が趣味で、ストレスが溜まると、竹に全てのストレスを入れ込んで彫るのだそうです。
そして、作品は全て人に差し上げることで、自分にはストレスは残らないと笑いながら話してくれました。
また、
「自分が平静心の時、自分の指をそろえて顎の下に入れて、指が何本入るか知っておきなさい。
そして、人と話をしていて、時々手を入れてみなさい。指が5本全部入ったり、握りこぶしが入るようなら、
あごが上がりすぎている。つまり、頭が高くなって自慢話になっているのだから、注意しなさい。」

私は大好きな柿までいただいて、霊山寺へ向かいました。
霊山寺に着いて、椅子にザックを置いて、納経帳を出して、お軸を出そうとしてビックリしました。
お軸がないのです。椅子の下を見てもありません。「えっ、何処に忘れたのだろう。休んだお店かしら」
この2年間持ち歩いて88番まで全部記帳されたお軸です。お軸代2万円、記帳に4万4千円、計6万4千円かかっています。
仕方なく気もそぞろでお参りして、納経帳にご朱印をいただき、「願行成圓」と記帳してくださいました。
これで、満願成就したわけです。
板野駅までタクシーで行く途中、お店に寄りましたが、ありませんでした。
でも、駅に着いた時、不思議なことに、私の胸はすっきりとしてきました。
「ああ、終ったのだ。私にとってお軸の役目は終ったのだ。私は、あのお軸があったから全て回ることができたのだ。
あれがなかったら、途中で諦めていたかもしれない」
すっきりとした気持で家に帰りました。
また、新しい人生が始まります。

それでも、帰宅してから、お軸のことを警察署や途中寄った店に問い合わせてみましたが、なくて、 私にとってのお軸の役は本当に終ったのだと思いました。
私は、バスツアー、車、歩き遍路と、私らしく三通りの経験したことになります。
最近は、歩き遍路が増えていて、定年退職して夫婦で歩く人も多いそうです。
すげがさは、本当に合理的にできています。ひさしは深く風通しは良いし、少しの雨なら大丈夫です。
紐を顎の下と前に掛けますから、風が吹いても、脱げたり飛ばされることがありません。
最近、山登りで被っている人を見かけますが、気持がよく分かります。
四国八十八ヵ所霊場巡りは、本当に良く考えられていて、信仰は別にしても、弘法大師の偉大さに心服するようです。
ユネスコの世界文化遺産に登録されてもよいのではと思います。

2002年
 
四国八十八ヶ所霊場巡りが、昨年11月に88番まで巡って1番札所に戻って「願行成圓」となったわけですが、高野山へのお礼参りが残っていました。
4月21日催行予定の「高野山と吉野千本桜を巡る」1泊のバスツアーに申し込んだのですが、今年は桜が早くて、そのツアーは中止になりました。
残念に思っていたところに、5月6日の高野山日帰りツアーの案内が来て、それで行くことにしました。
高野山へは10年ほど前に、宿坊に一泊するツアーに参加して観光もしましたから、 今回は奥の院へお参りして、納経帳にご朱印をいただければよかったのです。
それにしても強行軍でしたが、時期としては最高でした。

お遍路に出かける時は、いつも納経帳とお軸を持って出かけていましたから、出かける準備をしていてお軸をなくしたことを思い出して、少し淋しかったです。
高野山は標高1000mにあり、前日までは寒かったそうですが、5月6日はよく晴れて気持のよい日和でした。
精進料理の昼食をいただいた宿坊・宝城院の庭は大きな石楠花の花が満開!
奥の院に入ると、樹齢何百年の杉木立の中で、モミジは芽吹いたばかりの黄緑色で、牡丹が満開!そして八重桜もまだ咲いていました。
墓地のそこここにはシャガの花が清楚に咲いています。
奥の院にお参りして、弘法大師が入定された御廟に回ると、両脇の長い生垣は石楠花で、 鬱蒼とした杉林に囲まれた御廟がはんなりとした薄紅色で彩られていました。
奥の院のご朱印をいただいて、私の四国巡礼は本当に終わりました。

(2001年12月2日)
(2002年5月8日)更新
趣味