ペルー旅行




神が創造し給うた自然の神秘には驚嘆しますが、愚かで罪深き人間が作り上げた壮大で絢爛豪華な文化に、 殊の外、心引かれる私です。
フランス、イタリア、ロシア、トルコなどで、そのような文化を堪能してきた私は、 今度は、現代の人間の理解を越えた謎のインカ帝国の国を覗いてみたくなりました。
それで、3月15日から、23日までペルーヘ行ってきました。

3月15日、関空発17時10分のJAL60便でロスアンゼルスに向けて発ちました。
日付変更線を越えて、15日10時5分、約10時間でロスアンゼルスに到着、トランジットでも米国入国審査を受けて、 13時15分発のLA603便でリマへ向かい、16日0時45分、8時間でリマに到着しました。
やはり、ペルーは遠いです。
空港で、ドルからソルに、1ドル=3.35ソルで、50ドル両替しました。

3月16日、リマの観光。
10時30分、観光に出かけました。
ホテルがあるのは、ミラ・フローレス地区で、そこからアルマス広場へ、ペルーで最も古い教会のカテドラル、大統領府 など、コロニアル風の建物が多いです。
サンフランシスコ寺院はアラビアの影響を受けたバロック洋式の教会で、 修道院の回廊に貼られた美しいセビリアのタイルには1620年と書いてあります。
地下のカタコンベには、8万体の人骨が納められています。

ランチは、海上に突き出した白い瀟洒な建物のロサ・ナウティカでシーフード料理。
インテリアも、大変繊細な造りで、リマで一番豪華なレストランだそうです。
食後、海岸で大理石のような石を見つけ、一ついただきました。

午後、国立考古学博物館へ、紀元前数百年のチャピン文明からインカ文明まで、出土品を各時代ごとに展示してあります。
パラカスの遺跡から出土した緻密な織物は、草木染めの深い色合いで、現代でも立派に通用する模様の大変美しいものです。
プレ・インカの土器は形も様々で、色彩豊かで模様も緻密なものが多いです。
ナスカの部屋ではミイラを見ましたが、大変美しい布で蔽われています。
出口近くには、マチュピチュの精巧な模型が置かれていて、遺跡の全貌を見ることができます。

その後、国立博物館へ、水産庁の建物を利用した大変大きな建物の博物館です。
考古学博物館を見た後は、ちょっと物足らない感じです。

黄金博物館は実業家、ミゲル・ガーリヨ氏のコレクションを公開しています。
黄金は、耳飾りはお椀を伏せた程の大きさや首飾りもテニスボールを列ねたような大きさだったりして、 ミイラの上に飾ったもので、生きている人間は、とても使えるものではありません。
爪飾りもあります。
もう少しゆっくり見学したかったのですが、閉館時間になり、残念でした。
博物館を出たところに「Hスターン」のお店があり、私は今見てきたレプリカの黄金の小さなペンダント・トップを 買ってしまいました。



3月17日、インカ帝国の首都だったクスコへ
4時モーニングコール、5時にホテルを出発、6時半の飛行機で、クスコに向かいます。
朝早い出発は、クスコの高度が高いため、天候の安定している午前中に離着陸するようになっているそうです。
1時間ほどで到着します。
リマは標高150メートルですが、クスコは 3300メートルのところにあり、空路で来ますと 高所に慣れず、高山病にかかりますから、午前中はホテルで休憩です。
まず、ホテルでコカ茶をいただきました。高山病に良いそうで、ちょうど柿茶の感じです。
ペルーではコカ茶が美味しく、その後も私はずっとコカ茶ばかりいただいていました。
でも、皆さん、近所の散歩に出かけていましたので、私も出て、ホテルの周りを、アルマス広場まで歩きましたら、 色鮮やかな民芸品の露店が沢山出ていて、カラフルな模様の脹らんだスカートをはいたインディオの女性達が、私を見ると、日本語で「おねえさん、おねえさん」と 呼びかけます。
急いで歩くと少し苦しいので、すぐホテルに戻りました。
ランチをいただいている時、グループの若い男性が、フラフラッと倒れました。高山病です。
午後から観光でしたが、可哀想に彼は行くことができませんでした。

まず、郊外のタンボマチャイ沐浴場へ。年間を通して湧き水が出ていて、”聖なる泉”と 云われ、かっては沐浴所であったところです。
ケンコ遺跡へ、インカ時代の祭礼場と言われ、男性性器をモチーフとした石柱を 中心に半円状に広場が広がっています。
クスコの街が一望できる場所で写真を撮り、 サクサイワマン城壁へ向かいます。
ここは、インカ時代の緻密な石組みの技術を 残す要塞跡で、1個360トンもある石を盾に敵の進攻を妨げたそうです。
周りには、色とりどりの高山植物が咲いています。

市内に戻って、少し雨が降ってきました。
12角の石は、インカの石組みの一つで、寸分の狂いもない石組みの中に、12の角を持つ石がぴたりと 納められています。
サントドミンゴ教会は、インカ時代の宮殿跡地で、内部の壁は 黄金で覆われていたそうです。神殿から黄金は奪われ、その土台である石組みの上にスペイン風の教会が建立されましたが、 地震で教会は壊れても、石組みはびくともしなかったそうです。
夜は、フォルクローレ(アンデスの民族音楽)ショーで、バイキングの夕食。 その後、アルパカ製品の店に行き、インカの織物に似た色合いと模様のアルパカのカーディガンを、気に入って買い、 以後、寒い時は、これを着ていました。



3月18日、マチュピチュ遺跡へ
今日も朝が早く、4時45分モーニングコール、5時45分出発で、マチュピチュ遺跡へ向かう 7時30分発の列車に乗るため、駅へ向かいました。
我々の車両は特別列車でダイニング・カーになっています。
マチュピチュまでは3時間、この間に、ブレックファーストとしてフルーツと簡単なな食事が出ました。
列車は、何度かスイッチバックしながら進みます。
海抜3700メートルの峠を境に、今度は下り坂になり、トウモロコシ、じゃがいも、小麦畑が広がっています。
沿線を流れるウルバンバ川は、マチュピチュをぐるっと巡って、先はアマゾン川へ注いでいるそうですが、 前日の雨で濁流となって流れは急です。
右手遠くに、5750メートルのアンデスの山ベロニカが見えます。
約3時間で、標高2000メートルのマチュピチュ駅に到着です。
そこからは、バスでつづら折りの道を、2400メートルのマチュピチュの入り口にあるホテル・マチュピチュ・サンクチュアリまで登っていきます。
それにしても観光客が多いです。こんなに多いとは思いませんでした。
入場券を見せて入り、少し歩いて、インカ道に登ります。
このインカ道は、クスコまで続いていたそうですが、スペイン軍の 進軍を知って、途中で破壊したそうです。
「見晴台」と呼ばれる高台に登ると、ワイナピチュ峰が正面に見え、マチュピチュの遺跡が一望でき、 よく見るマチュピチュの写真は、ここから撮ったものだそうで、私も撮りました
ワイナピチュ峰へは1時間くらいで登れるそうですが、時間がなくて残念です。
インカの石段を降りて、遺跡の入り口から入ります。
階段畑、大神殿、水汲み場、太陽の神殿、インティワタナなどの遺跡を見て周りました。
ホテル・マチュピチュ・サンクチュアリでは行列して昼食を取り、バスでマチュピチュ駅まで下り、 3時30分発の特別列車に乗りましたが、今度はアフタヌーン・ティで、ピスコ・サワーもサービスされます。
夜は、アルマス広場へ出かけましたが、ライトアップされて、昼間とは違った美しさでした。



3月19日、クスコからチチカカ湖へ
今日も、4時45分モーニングコールで、6時にバスで出発。
バスは、どんどん高度を上げて、右手にはアンデスの山々が見え、雪を頂いた5472メートルのチンボラ山が見えてきます。
4319メートルのラ・ラーヤ峠に着き、記念撮影して、 ここからは下って、アンデス山系中央に位置する標高3855メートルのプーノに着きます。
午後、チチカカ湖のウロス島に観光に出かけるため、ホテルを出ようとしたところに、 フジモリ大統領が到着されて、我々日本人をご覧になって、大変喜ばれ、警備も少なく、 「ここの景色はきれいでしょう。」と、気さくに話し掛けられ、 写真に入ってくださり、私も握手していただきました。

穏やかな湖を、船に乗ってウロス島まで行きます。
ウロス島はトトラと呼ばれる植物のアシを積み重ねた浮島で、 そこにやはり葦で作った家で、現在も人々は住んでいるのです。
電気は、フジモリ大統領がソーラーシステムを寄付して下さったそうです。
ふわふわと足元がおぼつかない島に上がり、まず学校へ行きました。
生徒が、我々を待っていて、現地語、スペイン語で歌を歌い、その後、日本語で 「お手手つないで」「さくら、さくら」を歌ってくれました。
現地では風呂に入る習慣がなく、石鹸とかシャンプーがないので、ホテルのそれらを あげたら、喜ばれました。
1軒の家の中を見せていただきましたが、6畳くらいの広さに7人家族で住んでいるそうです。
外では、色鮮やかな民芸品を売っていますので、ウロス島の生活を刺繍したタペストリーとクッション、 それに、ペルーの織物の帽子を買いました。
それから、トトラ舟で、隣のサンタマリア島も訪れ、子供たちと写真を撮りました。
ここの住民は身体が丈夫で、冷たい水のチチカカ湖で泳ぐそうです。



3月20日、スルタニー遺跡へ
今日は、8時15分モーニングコールで、朝、ホテルから湖の方へ降りていき、アルパカの写真を撮りましたが、 戻りは、上り坂で、少し息が切れました。
9時45分、バスで、3950メートルにある、スルタニー遺跡へ向かいます。
プレインカのチュウラホン文化からインカ時代にかけて作られた石造円塔、プレ・インカ時代の墳墓の跡だそうです。 ここにも、色鮮やかな高山植物が、至る所で咲いています。
この花たちを見ていると、とても、そんなに高度の高いところとは思えません。

遺跡から、フリアカの空港へ行く途中、現地のガイドの知り合いの家に寄り、家の中を拝見し、 生活の様子をはなしていただきましたが、ウロス島で見た家より、ずっと豊かな感じでした。
私は、ご主人が織り上げた素朴なアルパカのマットを買い、 そのアルパカと息子さんと一緒に写真を撮りました。

フリアカから空路、アレキパでトランジットして、リマへ
日本大使館跡を通って、ホテルに帰りましたが、当時の建物は取り壊されて、 新大使館は別な場所に建築中とのことでした。



3月21日、ナスカの地上絵観光
今日は少しのんびり。
朝、海岸まで散歩に出かけましたが、通りに面した家々の塀の高さと鉄条網に驚く。 如何にテロが多かったかを証明しています。
低い塀で中の建物が見える家を通るとホットします。
10時30分、ホテルを出発、リマの国内空港からイカへ飛びます。
コンドルは大空を飛んではおらず、 ナスカの地上絵遊覧飛行場で、檻の中で飼われているコンドルを見ましたが、 大きな鳥です。

ホテルでランチを取ってから、
私は、9人乗りのセスナ機でナスカの地上絵を見るため、飛び立ちました。
砂漠が続き、パン・アメリカン・ハイウエイが真っ直ぐに延びています。
飛び立って20分ほどして、パイロットが「右に宇宙人」と大きな声で叫びます。 皆広い砂漠の中を一生懸命探します。パイロットが「見えましたか」と叫びます。「あっ、見えました。」 山の斜面に写真で見た「宇宙人」です。
それから旋回して「今度は左に宇宙人」と叫びます。
見えないと云うと幾らでも旋回してくれるそうですが、旋回は気持ちのよいものではありません。
そうして、犬、手、木、猿、コンドル、ハチドリ、クモ、フラミンゴなど見ることができました。
空中からは、線で描いたように見えますが、実際は、20センチ幅で10センチの深さで描かれているそうです。
あんな砂漠の中で、あんなに大きな絵を、本当にどうやって描いたの でしょうねえ。
飛行後、パイロットのサイン入りの飛行証明書をいただきました。

リマに到着後、日本食のレストランへ向かいましたが、 ラッシュアワーで、すごい渋滞です。
リマには鉄道とか地下鉄がなく、車社会なので、大渋滞は日常茶番時だそうです。

いよいよ、ペルーともお別れで、 22時30分、ホテルを出発して空港へ向かいましたが、空港では個人でチェックアウト しなければならないそうで、これがコンピューターが壊れているそうで、大変でした。
パスポートのコピーを撮られ、自分で作った荷物か検査するのです。
お陰で、2時間ほど時間を取られ、免税店で買い物をする時間がなくなりました。
私は、どうにか綺麗な容器に入っているピスコを買うことができました。
乗り込んだと思うと、すぐ離陸しました。私は間もなく眠りに落ちてしまいました。

3月22日、リマ発帰国の途に。
また、ロスアンゼルス経由で。

3月23日、1時間遅れて18時20分関空着


クスコでの観光の終わりごろ、少し雨が降っただけで、あとはお天気に恵まれ、素晴らしい旅行ができました。

生まれて初めて標高4300メートルの地点に立ったのですが、すぐ近くに、雪を頂いた5472メートルのチンボラ山が見え、 マチュピチュへ行く途中では5682メートルのベロニカ山を見ましたが、
クスコ郊外の3500メートルの遺跡のところも、3950メートルの スルスタニ遺跡のところも、至る所いろいろな高山植物のお花畑で、 とてもそんなに高度な所には感じられず、不思議な気がしました。

ペルーは、4月9日が大統領選挙で、選挙運動の最中でした。
町の至る所の壁に、赤で大きく PRESIDENT FUJIMORIと書かれて、その後に四角にPERUと2000が上下に書かれていて、 その上に黒で×印が付いているのです。
フジモリ現大統領が有力のようでした。

アラン・ガルシア前大統領の折り、インフレがひどく、テロが続発して、 リマの町ではテロのない日はないと云ってもよいほどだったそうです。
立派な家々の塀は高く、鉄条網が張り巡らされています。
フジモリ大統領になってから、インフレは落ち着き、テロリストには断固とし て対処してきたため、テロも減ってきたそうです。
特に、3年前の日本大使館人質事件以後は、テロは起こっていないそうです。

大統領選挙は直接選挙で、全国民が投票し、棄権すると約3000円の罰金 で、収入の少ない庶民にとって、3000円は大金ですから、 投票率は100パーセントだとガイドは話していました。
病人や歩けない老人は、どうするのか尋ねるのを忘れましたが。
また、文盲が多いため、名前を書くのではなく、党の名前に×印を付けます。
フジモリの党の場合、四角にPERU、2000が上下に書かれていて、 それに×印を書くようです。
壁に赤で書かれた上に、黒で×印が付いていたので、 初め、その×印は反対党のいたずらかと思いましたが、 「このようにしなさい」と云うことだったのです。

食べ物は、美味しかったです。
セビーチェは、新鮮な魚介類、赤玉ねぎ、唐辛子をレモン汁で 漬けた前菜で、コーンの輪切りとポテトが付きます。
アンティクーチョは、牛の心臓の串焼きで、ピカンテという辛いソースを付けていただきます。
ポージョ・アラ・プラサは鶏肉の炭焼きです。
果物は美味しく、スイカやメロンを沢山いただきました。

ペルーのお酒、ブドウから作った蒸留酒ピスコは、レモンサワーで割ったピスコサワーを楽しみました。
また、クスコのビールも美味しいです。

スペイン軍に滅ぼされ、謎に包まれたインカ帝国ですが、遺跡の石組みは厳然として、 インディオは、今も色鮮やかな織物や編み物を身に纏い、インカの文化は 受け継がれて、現代のペルーで立派に生きています。
2000年4月01日記



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