1978年生まれ。
1才の時、事故で左の脳をほとんど失い、「喋れない、歩けない、明暗もわからない、全盲、知能さえわからない」と言われた友彦でしたが、沢山の人に支えられながら『夢と希望』そして『人』を信じて今日まできました。
全盲で右手はマヒがあり自由に動かせませんが、何とか喋ることは出来るようになりました。
例がないと言われつつ、沢山の人に支えられて保育所、小学校、中学校と地域に通いました。
学校までの700メートルを4年かけてですが白杖で通学し、点字も6年生で50音が読めるようになりました。
高校も2年間の貴重なブランクを経て、代筆受験を勝ち取り、府中東高校に3度目のチャンスで入学。
音声パソコン、音楽部、修学旅行でのスキーにも、挑戦しキャンプや合宿、文化祭など、楽しい高校生活でした。
そして20歳の春、高校を卒業し、現在「楽器工房ムジカ」と言う会社で、音楽療法の助手やコンサートの仕事をしています。
音楽が形になったのは、可能性を信じてレッスンをしてくださったエレクトーンの先生がいたことや、学校でみんなといっしょの音楽の時間、合唱団の練習、父親のギターに合わせて歌っていたことも良かったのだと思います。
いつも遊び相手はカセットとキーボードでしたが、いつしか歌える曲なら、だいたいコードがとれるようになっていました。
いつも障害があることで突き当たる壁は、とてつもなく大きく 友彦と一緒に疑問を投げかけいっしょに考えて来ましたが、その時の歌もいろんなところで聴いてもらっているうちに自分が歌っていて、元気が出る曲は、聞く人も元気が出ることを知りました。
まだまだ不器用ですが、友彦の歌で、きっと共に生きる大切さを感じていただけると思います。Tomohiko Tutumi was
born 1978.
A left
brain was lost due to the fall accident from the
secondo floor of three months and one year old.
The docter said "It is not possible
to speak.""It is not possible to walk."and"It
doesn't see it."
However,it
meets music. Inside Where it
lives from child care place to high school in
region.
IT thought the trouble a lot to be a person. And,
it got it over.
A blind person goes to the school for the blind
in Japan.
though it is impossible to go to the school in
the region with a lot of troubles like Tomo.
It is a right
half of its body paralysis, and a stone-blind now.
Wonderful where it lives both white the assistant
of musicotherapy in Fukuyama is told by talking
playing about the Keyboard.
CD of 1'st
album was put on the market December
2005.
Pleasure where it lives and courage wish hope to
be a transmitted performance.
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