靖張の川柳2
毎日社交ダンスの踊れるところです皆様お誘いの上お気軽に
踊りに来て下さい
靖張の川柳東京編
大相撲浅草橋で眼の保養 妻と来た千秋楽に大相撲 千秋楽お相撲さんの写真撮り
六本木ヒルズビル内迷路顔 六本木昼定食に生ビール 喫茶店食べ放題の字に迷い
日比谷にて人の波視てバスに乗り 新宿やパイナップルの味を知り 新宿やダンスパーテイ歌舞伎町
東京タワービルを視ながらビール呑み 銀座にて宝クジ買いにっこりと 上野にてお祭りみこし夜の花
アメ横で昔ながらの店並び 渋谷にてコーヒー喫茶ビール呑み ソバの味アメ横道理恵比寿顔
川柳は楽しく詠んで季節 旅先の風景 山 川 海 空 物 自己流でやります

備後吉備津神社の写真 今年1200年際です
外は晴れ三池に写る蛇円山 春が来た吉備津神社恵比寿顔 梅の木にメジロ戯れ白い花
岩松や春の訪れ色みどり 菜の花や緑黄色で春知らせ 岩松やこの世の春と青あおに
靖張の川柳 2008年3月10日

瀬戸内や錦水眺め鞆の浦 鞆の海瀬戸内海の渡し船
瀬戸内海 鞆の浦のお雛祭りに一日楽しく鞆の港を散策しました お天気も最高の晴れで
鞆の港街を散策 魚も沢山買いました 日本にも昔の立派な建物が残っています得に鞆は
風景も最高の港街です 今この港にも大きな橋を造る計画が有るそうです 橋が出来れば
自動車の通行は最高にいいですが 今までの景色 風景は変わります 反対運動のお方も
沢山います 地元の人達も どちらがいいか 難しい問題が有ります 自然の海 山 港の
昔の面影が残せれば一番いいのですが 鞆の浦今の景色を忘れずに 靖張
鞆の浦お雛祭りに孫娘 昼食に鯛飯御膳ともの味 ふくろうはほろほろ酔いで木の葉ふり
お雛さん昔のにんぎょそのままに 鞆の浦海の眺めに魚干し 瀬戸内の鞆の浦にて雛まつり
地元の蛇円山 芦田川 神谷川 吉備津神社 御池 備後地方 尾道 瀬戸大橋
鞆の浦 瀬戸内海 四季 鳥 文化 魚釣り その他を基本にします 靖張
靖張の川柳世界の友に発信
日本から世界へお仕事 永住されていられる皆様私は川柳を詠んでいますが今一つです
これから毎日世界へ発信しますので川柳のお友達になって下さい 私は勉強して居ないので
これから頑張って勉強をしながら川柳を詠んで生きます海外より川柳を詠んで戴きお友達に
成れば幸いです 日本のニュースを詠んで行きますのでアドバイスお願いします 靖張
靖張の川柳 読売旅行の素晴らしさ
山陰や玉造温泉雪の風呂 バス旅行大根島に雪牡丹
2008年牡丹祭り 最高の雪景色 中海魚市場に魚買いに行して来ました 最高の雪景色で温泉も最高の温泉でした 魚もカニが沢山有り最高の旅

大根島の牡丹へhttp://www.fuchu.or.jp/~monmarutoru/om21/030214.html
寒牡丹みのをかぶってにっこりと 松江市や大根島の牡丹祭 中海やカニ祭りにて梅を買い
雪の中温泉見事人の山 春おいで大根島にカニがはう 米子にてお菓子の館雪の宿
玉造温泉入り桜雪 名園の足立美術館夢の窓 由志園や松庭園の 寒牡丹
降りかかる雨もはじける日和傘 青春ははじける汗と心生き 大吉に笑顔はじける春の雪
しゃぼん玉はじけるまでの楽しさや 何気なく取った資格に夢開く あれこれと資格を取って迷う今日
金を出し金にならない今の世は 音なしの構えで取った瀬戸の海 歌うたいダンス踊り春がさり

2008年2月17日日曜日靖張作
靖張の川柳
我が家の恵比寿大黒守り神 鼠年ねずみの絵馬に願かけて 岩松の庭園見事メジロ来る
市議会の選挙今日から人動き 出足から雪の舞い散る選挙戦 選挙戦知らない人が頭下げ
日曜日不在投票寒牡丹 母歌う松の木小唄 婦人会 我が宝恵比寿大黒奉納す
窓の外赤い実の花小鳥舞 四国石芝生の庭園白い椅子 ねずみ絵馬白と赤とで春が来る
備後路に福塩線の新市駅 新市や祇園祭りの御輿神 備後路や吉備津神社1200年
備後路はモンマルトルのダンスかな 備後路の御池 に映る蛇円山 窓の外小雪舞い散る二月朝
靖張の川柳
楠の木の恵比寿大黒寄贈して 宝物恵比寿大黒一ノ宮 窓越しの石灯篭にメジロ達
芦田川 恋したままの旅を抱く 芦田川 抱かれた春に母になり 備後路の芦田川にも春の恋
芦田川蛇円の水で青くなり 長生きを教えてくれた芦田川 備後路は雪景色花小鳥舞う

船で行くしゅらしゅしゅこんぴらへ バス旅行四国金毘羅うどん食べ 昼食や讃岐うどんの食べ放題
石段を妻と二人で登りきり 金毘羅や石段登れ有難さ お金持ち金毘羅参り籠に乗り
金毘羅や昔も今も石段で 金毘羅や手打ちうどんにタコ釜飯 讃岐苑こんぴら丸にうどん生地

金毘羅参り船で行く 四国讃岐の素晴らしさ 石灯篭一つ二百万の塀が出来 金毘羅ちょうちん
靖張川柳四国路道後温泉

道後温泉は最高の温泉が湧き出て素晴らしい温泉です 何回来ても楽しく成ります 靖張
四国道後温泉へ椿別館ホテルへ宿泊 桑田カラオケでバス旅行 アサヒビール四国工場見学
愛媛県立とべ動物園見学 タオル美術館しまなみ街道渡り 道後温泉を満喫しました
カラオケやしまなみ街道演歌道 四国路は道後温泉椿風呂 酔いしれて夢も流れる椿宿
酔うほどに歌声はずむ椿宿 椿宿太鼓のリズム花が咲き 椿宿風花の恋歌い踊る
バスの旅しま波街道四国路に 松山や道後温泉椿風呂 椿宿太鼓の音色道後の湯
椿宿お酒ダンスとマッサージ 旅行けばしま波街道椿の湯 四国路で越後湯沢駅歌い呑み
靖張川柳 日本の山 川 海 温泉 バス旅行 季節 空想 詠む
雪の朝芦田川に網を打ち 蛇円山吹雪の朝に母の顔 元旦や吉備津神社に初詣で
年初め布袋地蔵に福の神 初踊り妻とワルツで幕が明け お互いに元気で踊り年初め
宮参り雪に誘われ一宮 我が庭に初雪積もりねずみ年 今年こそ川柳磨き父の顔
降る雪や布袋地蔵の屋根の上 メジロたちつくばい遊び春の雪 初踊りタンゴ踊って春が来る
ハワイには自然の遊び海が有り ハワイには心の休む海の波 ハワイには自然があふれ夢の国
ハワイには心和む海の波 ハワイには朝から遊び潮の味 ハワイ島何回来ても満足し
ハワイには人の心を和らげる ハワイには日本にはない味がある ハワイ島夢の架け橋虹が舞う
ハワイ島魚と遊び仲良しに 魚たち餌をくれるの待っている ハワイには年に一回訪れて
ハワイには心の病波でけし ハワイ島おとぎの国の夢を観る ハワイには自然の夢がそこに有り

ハワイの趣味の写真です ハワイ 金毘羅さん
靖張川柳 由加神社本宮その昔旅人がこんぴらさんに向う途中こちらで道中安全を祈願して参詣した
ことから両参りの風習ができましたこの両参りでご利益が沢山頂けると言われています
ゆがさんと金毘羅参り両参り ゆがさんや石段登る有難さ ゆがさんの備前焼き鳥居写真撮り
ねずみ年お寺参りで由加神社 宇野港連絡船で金毘羅へ 金毘羅は階段登る厳しさや

由加神社本宮 素晴らしい神社です こんぴらさん ゆがさん 両参り 船 フネ しゅらしゅしゆしゅ
私の友達のスライド写真http://homepage1.nifty.com/renanomama/image/0802jyoyama.htm
靖張川柳海外編 ツエルマットアレツチ氷河中世に モンブラン憧れの山ケイブルで スイス古都ルツエルン市内夢の国 登山列車ユングフラウへ登りつめ
スイスには三大名峰マッタホルン モンブラン頂上孫と写真撮り ジュネイブレマン湖船で花時計
ツエルマット・グリンデルワルト・世界遺産 ユングフラウホテル窓より氷河観る ジュネイブ仮想行列参加
空港でパスポート見せ顔にらみ 飛行機でパリーに着いて日本語で 人生を旅しているの笹の船
パスポート出して見せても不振がり 妻と行くイギリス旅行珍道中 備後路や雪降る町に変わりけり
空港で出して見ても顔を見る 日本ではよくしゃべる彼口つむぎ 新年の出口で雪が降り笑う
店の中見るだけ観ても買わず出る 外国で値切りねぎって日本語で つらい時笑って過ごす花になれ
さんぷるを無料の物を値切ってる 携帯を出したり見たり誰を待つ 本当の事を知ってる妻の顔
美しい空を観たくて金毘羅へ 靖国に参る楽しさ靖張や 雪の朝梅の木とまるメジロたち
それぞれに思いのままに撮る写真 雪が降る年金便り生きる今 学校へ通う子供ばらばらと
平成15年5月18.19日

HSLN第2回瀬戸内オフ会http://www.fuchu.or.jp/~miyuu/seto4/ImgIndex.htm
瀬戸内オフ会のリンク集 広島県福山市走島でオフ会
http://www.fuchu.or.jp/~miyuu/ofu/newpage1.htm
走島の旭館で 楽しくオフ会をして 和やかな一日を過ごしました 夜はモンマルトルで ダンスを踊り
歌い盛大に盛り上がりました 翌日は瀬戸大橋を渡り 瀬戸田の平山美術館を拝観して 四国までドライブ
して楽しく遊び福山駅で お別れしました 大変楽しいオフ会でした 靖張
ご真言布袋地蔵菩薩
おん かかか びさんまえい そわか
布袋地蔵菩薩府中市の安楽寺の住職にお性根を入れて戴き多数のお方が参加されて盛大に行はれましたそれ以来
毎朝 晩 般若心経を拝んでいます 家内安全 商売繁盛 自分に厳しく 人には優しく 健康第一 で頑張っています
お地蔵様は、お釈迦様亡くなってから弥勒菩薩が登場するまでの間私達を救うのが主な役目です。上は極楽から下は地獄で
六つの世界で活躍する六地蔵の名前が有名です大地は私たちの衣食住から金銀財宝に至るまでいろいろなものを与えてくれます
お地蔵様も同様に、私たちに色々な恵みを与え、その生活を護持するところからこの名前がつきました。安産・健康・長寿
・智恵・豊
作・求財などにご利益あります靖張の株の勝ち方 推薦銘柄 2007年
1 まず自分の資本金を決める金利の要る様なお金はだめですよ 鉄則です
2自分の資本金の20分の1から始める けして無理な予算を組まない事
3 高い株を買う時は 自分の資本金の20分の1から始めて下さい無理はだめです
4 一株100円以下の株を まず1000株買う 2割下がれば持ち株の倍買う事
5 上がれば売る 欲を出さない 下がれば又買う 自分の資本金に合った買い方をする事
6 人の甘い言葉に乗らない 自己の信念で決断する事
7 中には倒産する株も有ります 自分で腹を決める 駄目だと思ったら 早く他の株に乗り換え
る事 私は20円に成るまでは倍 倍買います ここで決断します皆売って他の株を買います
8 銘柄は2銘柄ぐらいにしぼりましょう 自分のペースでやりましょう
9 新聞はよく読みましょう だが 参考にするだけです この会社は 何をしているのか
電気か 建設か 機械か まったく関係有りません 下がれば買い 上がれば売りです
まったく理屈はいりません 絶対に欲を出さない事 もう少しは駄目です 最初の信念で決断です
10高い株が安くなるまで待ちましょう例えば5000円の株が300円に成るまで待ちましょう
そんな事は絶対無い 世の中に 絶対は無い 自分の信念を貫きとうす事
11 その内に花が咲くでしょう 少しでも 信念がゆらいだら おそらく貴方は宝の山から落ちるでしょう
12 どの株も危険が有ります 責任は自分で取る事です 自分に負けない事です
13 自分の信念を貫くこと 失敗は絶対許されない 大切なお金だから半身半疑では
絶対に株はやっては駄目です 信用取り引きも絶対駄目です 自己資金だけです
14 こんなぼろ株は危険が有るので駄目だと言う方も有りますご自分の判断でやるのが一番です
私は下がれば持ち株の倍買います 上がれば売る ゲーム感覚で楽しくしています 靖張
15 追記100円以上の株を買う時は100円以下の株を買う時と同じで下がれば持ち株の倍い買い
自己判断で自分の資本の20分の1から始めましょう2割下がれば倍買いましょう自己判断で
高い株を買う時は私は マザーズの株だけして居ます(1株 100株単位)の株で遊んでいます
楽しく勝ちましょう 当方には一切の責任は有りません 自己判断で楽しく勝ちましょ
株は毎日動いて居ます 欲張らず基礎を大切に自分の資本の20分の1から始めましょう
16 2割下がれば持ち株の倍買いましょう 自己判断で楽しく勝ちましょう
当方には この情報にもとずいての判断には一切の責任は有りませんので自己判断で決断下さい
株は自己の決断で決断で決めましょういかなることにも当方には一切責任は 有りません 鉄則です
靖張の川柳2
我が母の教えを守り今日が有り 人間は辛抱努力で花が咲き 人はみな働くために生まれ来る
備後路に吉備津神社の福の神 人は皆苦労辛抱耐え抜いて 人生は亀とウサギの物語
今の世は人の為にと自己思潮 人生は真面目な人に叶わない 国会は自分のために動いてる
冬の朝雪が積もりて宮参り ねずみ年小雪舞い散る元旦に ホトトギス蛇円の峰に虹が出る
雪降りてメジロ親子の仲のよさ 白菜が雪にうずまり鳥のえさ つくばいや雪にうずまり鳥のむれ
角島やコバルトブルー海の泡 萩焼に窯元茶碗目がうるむ 津和野路や鯉の館の紅が指し


下関 ふぐの街 津和野 角島大橋 巌流島 関門海峡 萩焼 大谷山荘の素晴らしさ 川柳浮かぶエメラルドの海
コバルトブルーの海 角島大橋も見事 山口名所めぐりとプロが選ぶ旅館100選にランクイン大谷山荘で最高の幸せの旅
津和野、萩地ビール工房 萩焼窯元北長門、新鮮な海産物、角島大橋絶景エメラルドグリンの海を渡る長門海岸地域景勝地
角島灯台公園 下関関門の味覚、にぎり寿司 食べ放題 ふぐ うにやりいか なまタコの握り最高の幸せ西日本最大の
水族館最高の旅行でした
靖張の旅瀬戸内海より山陰の日本海山口県下関温泉の旅川柳遊ぶ一六会10人 バス旅行の思い出
広島県の紅葉です靖張の写真展2007年秋撮影三原市の佛通寺の紅葉

2007年11月20日三原市佛通寺の紅葉 午前10時過ぎの曇りでした 靖張

広島県三原市佛通寺の見事な紅葉の紅葉 毎年訪れて写真に収めています

尾道市瀬戸大橋を眺めて瀬戸内海の波の静かさ尾道ラーメン名物海鮮料理靖張

尾道の瀬戸大橋を眺めつつ 船が行く瀬戸内海の秋日和 穏やかなしまなみ街道昼休み


瀬戸内海尾道水道鞆の浦 瀬戸内海の最高の港 靖張の大好きな港です
靖張の岩松
靖張の盆栽 岩松の趣味毎日岩松と話ながら水を与えて 川柳を楽しむお茶の楽しみ



舞う岩松の趣味のお方沢山観覧においでに成ります趣味が同じなのでお話も大変楽しいですね
毎日朝と夕方に水を沢山あたへます 岩松は理屈ぬきで水が最高の肥料です朝の始まりは
岩松の水まきから始まります 最近岩松の趣味のお方が来客が有ります 盆栽の楽しさ華麗さの
お話が始まります 最近は砂を沢山まいて 小さい岩松の子供が楽しみでその為に水を沢山与えて
成長を写真に収めて満足しています

柿食えば戦後の秋を思い出す 我が庭の柿のきの葉が秋の色 布袋地蔵我が
会社を守ってる蛇円山を裏から撮影服部円福寺より手造りのホタル湯温泉が風流です 6月には蛍の飛ぶ川沿いにある
我が庭の岩松の趣味素晴らしさ毎日水をやり 俳句を歌い 草を取り 岩松に感謝 感謝です靖張
お茶を戴きながら 岩松の庭園で心静める 蛇円の峰に秋が来るそして冬春が来るそして夏が来る
靖張の川柳と 岩松の我が庭園見事なり
我が庭の四国青石雄大に岩松に佐渡の赤玉見事となり 岩松や佐渡の赤玉見事となり 靖張



岩松の趣味広い庭園に岩松の風景岩松の素晴らしさ 華麗さ 素敵な岩松の大群です靖張
岩松の俳句 川柳が毎日我が庭で 川柳に挑戦していますyasu haru

蛇円山 吉備津神社 吉備津神社 吉備津神社 吉備津神社

御池 イチョウの木 吉備津神社 イチョウの木

備後吉備津神社大祭
風秋祭り吉備津神社に桃太郎 桃太郎吉備津神社にそびへ建つ
親心三池の色は紅葉に の川柳は 蛇円山吉備津神社御池
靖張の川柳は瀬戸内海を妻と二人でドライブして 温泉に入り瀬戸内海の海岸を散策素晴らしい最高の景色風景
瀬戸内海 みはらし温泉 筆影山 忠海港 瀬戸内の休日 ひさしぶりに 人生の素晴らしさを楽しむ靖張
2007年10月28日 朝から三原のみはらし温泉夢の宿ドライブ 温泉に入り タコ御膳の料理を戴き最高の
休日をひさしぶりに瀬戸内の休日を満喫しました また国立公園の筆影山にのぼり 瀬戸内海の風景を
写真に残し天候も最高の日本晴れで 写真も綺麗に撮影出来満足しています 人生には最高の瀬戸内の
休日がこれからの人生の活力に成ります 忠海港の漁港も観察し 次回の魚釣りの場所も再確認して来ました
瀬戸内海の最高の景色 風景を眺めながら 広島県の瀬戸内海の素晴らしさ 華麗さを最高に味わいました



瀬戸内海の素晴らしい風景忠海港の港 筆影山よりの瀬戸内海の展望最高の靖張 瀬戸内の休日を楽しむ

紅葉 栗 籠の中 十割そば処 三代目 作十 泉水島 瀬戸内海の宝

瀬戸内海の鞆の浦 瀬戸内海国立公園 連絡船にて鞆の浦海水浴場へ
県世羅高原芝桜チユリップ祭り日本一の菊桃の花祭り4月上旬ー5月上旬
甲山ふれあいの里 世羅幸水農園 せら藤園 せら夢高原大学 せらゆり園 香山ラベンダーの丘
矢野温泉 あやめ荘0847−62−2145 素敵な温泉です 私達も月に2回は温泉に行きます 演劇も有ります



世羅ゆり園 世羅夢公園 ぼたん桜 フラワーパーク世羅ふじ園 夢の花大地 ポピーの丘世羅高原です
靖張の人生行路母との思い出
靖張の思い出日記 戦争は絶対駄目です
ある夜の空襲警報 広島県府中市高木町(現在)住所です
東の夜空が真っ赤に燃え上がりました 広島県福山市の空爆にて夜空が真っ赤に燃えています
B29の通らいです 空襲警報のサイレンが鳴り響きました 家の壁は白い壁は 黒いすすをぬって
空爆を 避けるために どこの内も 壁は真っ黒でした 戦争は地獄です 人類の崩壊です
それは それは もの凄い B29の空爆です 小生国民学校1年生でした 防空壕に入り B29が
空の上を 通過するのを 見ていました その時期に 広島に原爆投下されたそうです
学校に行っても 運動場は すべて 薩摩芋のつるが いつぱいで 遊ぶことは 出来ませんでした
戦争を体験した人でないと 本当の戦争の怖さは 分かりません 2度と戦争はしてはいけません
この怖さ 恐ろしさが今の日本の総理大臣 安倍首相に分かりますかね 絶対に戦争はしてはいけません
昭和20年ごろ 終戦で大変な時代でした 食べる物は無い 台風で家は流れ 人は死に とても 今では 考えられない
時代でした そんな頃 母と二人で 親類の家に預かって 貰っていた 母は商売が好きで 好きで その姿を見ながら
私は育ちました 母について 毎日 絣と ナベを売りに 歩いていました 尾道の呉服屋へ売りに行って いました
その呉服屋へ持って行けば 2000円で買ってくれる のですが 尾道の市内を 売り歩き2800円ぐらいで売れるだけ
売って歩き 残りを 呉服屋に売り 帰りに 尾道の港で 魚を持てるだけ買い 背中に背負い 電車で隣駅の松永駅で
下車して 松永の町で 魚を売り歩き みな売りました その お金で松永の下駄を持てるだけ買い 福山駅の隣の駅で
備後本庄で下車して 下駄をみな売り 高木駅に着いたのが夜の8時過ぎである これを 2日に一回の繰り返しで
尾道へ 売りに行き 又同じことを 繰り返して その時代を 乗り切りましたが???その頃 封鎖とゆうことが ありまして
沢山貯めた お金が パーに成りました それは 口では言えない出来事でした人生には こんな事が ある いい経験を
しましたが?(当時 小生7歳)でした
豊橋市豊川 牛久保町の思い出
小生5歳の時 ある日 昼過ぎ 妹が生まれました お湯を沸かす そのお湯を沸かす 焚き木を拾って来てから お湯を
沸かし 産婆さんが 妹を抱きかかへ お湯で綺麗に 洗い拭いていたのを思い出します 豊川で生まれたので 豊子と
なずけました ある日 統制時代で 配給制度が ありました その配給で戴いた服を母は帰りに 売りました そのお金で
帰りながら 他の人の服を 安く買い 又 それを売り そんな商売をして居ました 小生 小さいながらも凄いなあ と思う
豊川には父が海軍こうしょうへ勤めていたので2年ぐらい いたと思います 母と人の配給物を買いに歩き 帰りには みな
売って帰る 毎日でしたが 小生 せきりと ゆう病気にかかり20日ぐらい当時ひましゆう と ゆう とても くさい薬を飲み
大変苦しい病気を経験しましたが それ以来今日まで一回も病気はしたことが有りません お陰で 元気で過ごしています
福山市駅家町服部本郷の思い出 あやめ 菖蒲の花の美しさ華麗さ 私の心を 和ませる 頑張るぞ靖張
ここは父の生まれ故郷の本家の はなれ家 戦後父が帰り親子4人で過ごした所です ある日大雪が降り学校に行くのに
履物が無い (それまでは はだしで1キロぐらいの所を学校に行って居ました 本家の坊ちゃんの麦わらぞうりを 履いて
行きました 帰ると 本家の おばさんに大変しかられました母が随分 断りを言って くれましたが とてもひどく しかられ
ました 毎日食べる物が無いのです 少しのお米を 大きなはがまに 水をいっぱい入れて それを 毎日食べて居ました
いくら食べても お腹が すぐ すきます 大変な時代を 経験しました
現在の新市町宮内に来たのが ある秋の夜9時ごろだった
母の妹の ゆりこさんの お陰でその家を貸して頂ました 小生3年生の秋の事でした
網引小学校に変更である ある時 秋の祭り 備後一の宮の お祭りがあり小生学校を休み家の前で みかんを売りました
百匁が みかん6個ですが 5を 一山で 10円で売りました それは それは好く売れました 1週間で みかん箱23個を
売りました これで 商売の基本を習い 母と にっこり 笑ったことを思い出します
一年過ぎて また 一の宮のお祭りである また みかんを売り 今度は こんにゃくを 仕入れて(大きい)のを60円で買い
それを薄く切って 一個で 60本に切り 竹の串え 刺して 田楽を造り みその中え砂糖を入れて一本10円で売りました
売れて 売れて こんなに楽しい事は無い いい経験をしました 靖張
小学生時代の思い出
父が備後絣を仕入れ母と 二人で はさみで 裁断をしていた小生 その裁断した もんペイを朝学校に行く前に自伝車で
各家庭に 配り昼3時ごろ 学校より帰って それを取りに行くのが毎日の日課でした それから山へ木の葉を取りに行き
その木の葉で風呂を沸かす これが 毎日の日課でした 夕方には 夕食の支度をして 母と父が帰るのを待っていました
勉強はあまりしません 商売をするのが最高の目的ですから ソロバンは 毎日夜遅くまで やりました これは商売をする
のには 絶対必要だから 暗算も凄くやりました 頭の中は 学校の勉強の事は考えた事は有りませんでした
中学一年生の思い出
中学一年5組 ある日 役員を決める 選挙が有りました 5人ぐらいの人を選ぶ選挙でした だれだれ 何票 何票と
言っていた時 まったく 0の人が居ました それを 饅頭といいました今饅頭と言った物は誰かと言われ はい私ですと
答えたら 廊下に たって バケツに水をいっぱい 入れて それを持って 立っていろ と 言われ そのまま 立って
居たら 隣の教室の 先生が 何で立って 居るのか と 言われ 0のことを饅頭と言ったら廊下に立っていろと言われ
立っていますと 答えましたら その先生は バカだなー ばけっは廊下に下ろして 立っていれば いいでは ないか
と言われ それも そうだなーと思い そうしました しばらくして バカらしいので 学校より外へ出て 近所のお店へ入り
パンを買って 食べていました ある日 朝学校に行くのが 遅れて行きました 裏から 入ると 先生が そこで待って
いまして つかまり 朝礼の前に 立たされました 朝礼が 終わり 教員室に呼ばれ そこで ひばいしで 頭を殴られ
ました そのあくる日 また朝礼に遅れて これは いけない と 友達と(5人) と 相談して 山へ登り 山学校を
しました 約3ヶ月しました その間 キノコ マッタケを取り それを売り そのお金で みかん するめいか を買い
毎日 山学校の始まりです3ヶ月ぐらい山学校をして ばれました それからと ゆうものは どんなに いい事をしても
先生が 信用してくれませんでした たしかに 自分達が 悪いのですが 最初の発端は 遅れて行った 事が
始まりです たしかに 自分達が 悪いのですが 生徒を 信用しない 先生も いかがな 物かと 思いました
このページの 靖張の株の勝ち方の下に つずく
ある決断 父と母との話し合い 両親は高校 大学に行くように何回も言っていましたが 小生は 始めから
決めて居ました 中学を卒業して 商売を習い 商売人に成るのが 小さい時からの 夢でした 決断は堅い
父も母も いやいや了解してくれました 同じ修業するのなら 一番厳しい所rを選びたい 3軒の候補が有り
ましたが その中で一番 厳しい所rは どこかと聞いて Y とゆう店が有ると聞き 小生独断で決めました
時は 昭和29年3月18日に卒業して 21日の朝9時に これから修業する店の玄関の戸を開けました
15歳の初春のことでした それは それは 厳しい修業の始まりです 社長さんに挨拶しました
これから 一生懸命に勤めますのでどうぞ宜しくおねがいしますその日から住み込みで働くことに成りました
丁稚奉公の始まり 靖張の人生行路 丁稚奉公の始まりです 朝6時起床 家中を はき掃除 拭き掃除 そして 朝食を 皆さんのを 茶碗についで
その後 自分のを ついで 頂ました 食後 皆さんの 茶碗 コップ 洗い 綺麗にかたずけてから 先輩と
二人で 新市から往復 約80キロぐらいの 水呑と ゆう所まで 自伝車で 行きました 8軒ぐらい 挨拶
廻りしました そこで 島反 紺反 絣 ギンガム など仕入れる所です 入る物を 仕入れて 自伝者につんで
昼までに 帰り 昼食を 頂き すぐ 荷物 荷造りをして 新市駅まで 自伝者に荷物をつんで 出荷しました
夜は 風呂の水を ポンプで水を汲み 風呂を 沸かし その 沸かすのは 荷物を下 使えない 縄の
こぎれで 風呂を沸かしました 夜は 食事の後 その日 出荷した 伝票の計算の 誤りが無いか ソロバンで
何回も 調べました 夜9時過ぎより 社長さんの 肩をもんで いました 風呂に 入るのは 11時過ぎでした
それから たらいに 残り湯を入れて 皆さんの 洗濯を手で もみながら洗い二階へ 干して から 寝ました
丁稚奉公のの朝
あくる日 から 朝 掃除をして 食事をして 郵便局に通信を取りに行き それの 中から注文書を見て書いて
水呑へ仕入れに行き 昼までに帰り ました これを毎日 毎日 つずけました もちろん 休みは 有りません
当時 履物は ゴムぞうり 80円のを一足買いました それを丸 4年間はきました 下着はランニング2枚で
4年間 着ました 頭の散発は社長に バリカンで やって貰いました ちなみに給料は一ヶ月3000円でした
その中から 食事を 2000円引かれ 厚生年金やその他を 500円引かれました手取り500円でその中から
400円を 貯金しました 100円残しておきましたが 次の 給料の時に たして貯金しました 厳しいですが
楽しく仕事をして居ました
新市の夏祭り 祇園祭り
祭りは嬉しい 楽しい でも 掃除が大変です 朝から 障子の入れ替え夏の格子戸を掃除するのに水神さん
の有る所まで 持って行き 約300メイトルぐらい 有る所まで 持って行き 綺麗に 綺麗に 洗い 乾かして
持って帰り綺麗に 戸をはめて やれやれ と 思っていたら 社長が帰宅されて 格子戸を 指で なぜると
古川君 ここは まだ掃除をして 居ないのか と言われ はいと答へ ました それから また水神さんの所まで
持って行き 綺麗に 綺麗に 掃除を して帰りました やれやれです ようやく祭りの気分に成りましたが食事を
戴いて 後が 大変です 古川君 これを かたずけてくれ と 言われ はい と言って 一人でかたずけ ました
祇園の祭りに 行く元気が出ず 留守番を して居ました これも 修業の一つだと 自分に いい聞かせ自分で
納得して ソロバンの練習を しました でも 今日は ご馳走を 戴いた だけで幸せでした 夏の思い出
ある朝の掃除
ある朝 6時から掃除をするのが 遅れて7時から掃除をする 奥さんが古川君 この子を オブって(女の赤ちゃん)
はい と 言って背中に 帯で背負い 表の 玄関を雑巾で拭いて居ましたら同級生の女性が沢山 自伝者に乗って
高等学校に 通学して来ました その時は とても 恥ずかしく思いましたが仕方有りません こちら丁稚奉公の身です
でも 小生 こんなに 恥ずかしい 思いをした事は始めて感じましたが 気持ちを 切かえて頑張るぞと 自分に活を
入れました これからは 恥ずかしいと 言う事は 禁物だと 自分に言い聞かせ以後 恥ずかしいと思った事は無い
です 毎日 水呑通いがつずく 商売の コツが 少しずつ 分かる用に成りました 頑張るぞ 夜はソロバンと漢字を
勉強しました 得意先の住所を 覚えました 社長の肩をもみました関心した事が有ります昔は火鉢に灰が有りました
社長は 灰の上に 火箸で 注文の品を書いて 居ました紙に書いた事は 有りませんでした これには小生も関心
しました いい社長の所に来たなあと 思いました これが お金儲けの 基礎だと思いました
ある日の食事の時 昼食の時 社長の茶碗にご飯を注ぎました社長が古川君がつぐご飯は いっぱい おさえて いるので普通の二膳
ぶんぐらい有るぞ と 言われました あるとき 沢庵の漬物を一切れぱくっと口に入れて食べました社長は古川は
私の一週間分の 漬物を一口で食べるのう と言われました それからは いっさい食べずポケットに漬物を入れて
ご飯だけ 食べて 外に出て 漬物をポケットより 出して 食べていました これも修業だと 自分に何回も 何回も
言い聞かせ 自分に返事をさせていました
ある夏の思い出
とても暑い天気のいい夏の昼過ぎ 火鉢に入れる 炭みを(冬に使う炭です) これを 夏の一番暑い日に買うのです
炭を売る業者も いくらでも いいから買って下さい と 言うぐらい暑い日です それも まともな炭では ないのです
店では売れない こごりの炭です それを タタイテ 安く買います 普通の人は買わないでしょう小生それを見ていて
凄いなあ と 感心していました 金儲けは 儲けるだけではない 使う時にも 儲けるのだ と思いました そして
冬が来ました 火鉢に 炭を入れて 社長は これは温かい と にこにこ して居ました炭はこごりです火花が散って
あたれる 物では 有りません でも 社長は ご機嫌です またまた 感心しました 本当に 凄い偉い社長だと関心
しました
ある夏の事 水呑へ 行った時に 紺反の ハギレヲを 貰ってこいと 言われて 沢山貰って帰りました おお 沢山あるのう と
社長は ニコニコしていました 古川 徳永の畳屋で畳を縫う 針と糸を 貰ってこい と いわれて 貰って来ました
これから 畳のふちの 針かへを するので 畳を うがして 持ってこいと言われ 畳を 持って行きました
その畳を タダで 戴いた紺反の 切れで針変えるのです 凄いなと 感心しました お金を 儲ける人は 何でも
出きる人だなと 思いました でも小生は これは 最高の社長だ社長の されることは すべて 習い覚えて自分の
物にしよう と 自分に いい聞かせました
ある台風の思い出
今日は台風が来るので 水呑には行かなくてもいいな と思っていたら 社長が古川 お前 まだ水呑に行かないのか
と 言われて はい これから行きますと 言って店を出ましたが とても向かえ風で進まないのですが 辛抱して水呑に
着いて 織物屋さんについたら 古川君 ようきたな こんな台風で 荷物をつんで 帰れないよ と 言われましたが
でも 折角来たので 自伝者に 載せて帰りますと お願いして 荷物を積んで帰りました自分でも良く帰れたなあと思い
ました 今日は よく帰つたのうっと ほめてくれると思っていましたら 考えが甘かった 帰ったら 社長が 古川 お前は 荷物をぬらしては いないだろうな お前は 100日 濡れても 一日乾かせばいいんだ
荷物は 売り物だ としかられました そのとうりだ と 思いましたが 親が聞いたら どう思うかなと ふと涙が出ました
でも いい経験を させて 戴きました 社長の考えは 普通の人とは 違う すごい 人だ この 物の考え方は最高の
自分の体験の中でも 終生忘れないでしょう よし 頑張るぞ と 自分に活を入れました
ある夜のこと
社長が 古川とコタツの 所で呼んでいます はい と答えて行きましたら肩をもんでくれ と言われ はい と言って
肩をもみました しばらく すると社長は いびきを かきながら寝てしまいましたが休むわけには いきません そのまま
もんで居ましたら社長が目を さまして まだ もんで居るのか もうやめても いいぞと言われ はいと言ってやめました
こんな 夜が 毎日 毎日つずきました親の肩を一回も もんだ事は無いですが一回もんで あげたいな と思いました
夜遅くに最終の 風呂に入り今日一日の出来事の 反省をしながら たらいの中に有る洗濯物を 手で洗い自分の
ランニングと パンツを洗い 二階の 洗濯竿に干して寝ました 先輩達は寝ていました あすも6時起きだ頑張るぞ
ある夏の思い出
8月14日の事 奥さんが 古川君 お中元を Sへ持って行って来てくれ と言われ それを持って行きました いつも
お世話に成ります奥様から預かり お届けに参りました と S
の奥様に渡しました そうしたらSの奥様が ちりしに
包んで200円下さいました これは お礼に貴方に上げますので 何かの たしに して下さい と言われました有難う
ございます と何回も お礼を言って帰りました 夜 いつもの とうり 社長の肩を もんでいましたら 社長が古川?
今日Sで 何か貰わなかったかと 言われて実は200円戴きました と言ったら なぜ言わないのか そのお金は出し
なさいと 言われ社長に渡しました 小生何も 弁解は しませんでした お金を儲ける人は 違うな と感心しました
ある映画を観る楽しみ
今日は日曜日 朝から反綴じをして居ました 夜 始めての映画を観に行く日です石原裕次郎の風速40メートルです
町角の 宣伝ポスターを何回も 何回も観ていました 心 わくわく で 朝kら楽しみに 仕事をして居ました夕ご飯を
食べて ぼつぼつ 出ようかなと 思ったら 社長が古川 何を そわそわ しているのかと 言われましたので映画を
観に行こうと思ってますといったら お前はバカか と言われました映画代は80円でしたが10時まで反綴じをしなさい
と言われ はい と 言って反綴じをしました 好く考えたら お金を使うより 仕事をしていた方が会社のために 成るな
と思いました あくる朝 映画のポスターを何回も 何回も 観て納得しました 今でも あの映画の事は 思い出します
毎日の日課
朝起きて(6時)掃除をして 自転車を磨く 郵便局へ 私書箱の通信物を取りに行く 朝食を戴く通信を見て注文書を
見て それを 紙に書き 小生 水呑へ行く 毎日の日課である 島反 紺反 ギンガム 銀座格子など入る物を買って
値切って 買つて帰る 必ず値切って 安く買うのです 昼過ぎごろ帰り山陰方面の荷物を荷造りして新市駅より出荷
してから 昼飯を戴き 昼からの出荷の反綴じをして 荷造りして自転車で駅まで乗せて行き出荷して帰る それから
神辺の織物屋へ荷物を取りに行き 帰る 帰って 夕ご飯を戴き 反綴じをして その日の伝票の計算 ソロバン して
社長さんの 肩もみ 夜11時過ぎ 風呂に入る 洗濯物が 沢山有るタライに残りの お湯を入れて洗濯をして ほして
寝る 毎日とても 忙しい 寝るときには お腹が すいて眠れない 日も有りましたが我慢して これが修業だと自分で
納得して 辛抱 辛抱 こんな 毎日が日課でした 頑張るぞ 自分に活を入れていました
ある夜のソロバン
毎晩 毎晩 その日の出荷の伝票の計算を ソロバンでしていた 社長が伝票を見ながら読み上げるのです354円成り
653円成り421円成り386円成り 今のはうそ成り ソロバンから 386円を引かなければ いけない356円成りと色々と
読み上げて 違うと お前は何をしても 駄目だな と怒鳴り怒られました でも ソロバンには自信が有ります それは
最初から 商売をするつもり なので そろばんは すごく練習していましたから どんなに意地悪されても違いませんで
した それも毎晩です お陰で やれば やるだけ 自信が着きました社長も ほめては くれませんが何も言わなかった
と 思います 私は字が余り綺麗では有りませんが 社長はすごく 上手でっす火鉢の灰の上に火箸でいつも書いて い
ましたから すごく達筆でした そのごろからローマジの勉強を 内緒で 勉強しました 又 株式のことも 勉強しました
ある日得意先の来店
明日は得先の社長がこられる日です奥さんが古川君ランニングの肩のひもを こんたんの端切れで むすんでいました
なんぼうにも 得意先の社長には見せたくないので このシャツを着なさい と社長の古着の半袖のシャツを 戴きました
小生 戴いた物は 自分の物です 丁寧にたたんで 仕舞いました 朝起きて 今までのランニングを着ていたら奥さんが
何で 昨日上げた 半袖を着ないのですか と
言われ すごく しかられましたが すいません あれは よそいきに 仕舞いましたと言いました奥さん すごく立腹でした
が 一週間ぐらい 立つた時 笑いながら あんたには あきれてしまうと 笑って下さいました
年末31日午後11時45分ごろ
今日はボーナスを貰える夜である 楽しみに 待っていました 一番最後に古川と呼ばれました社長の前に行きました
あんたは 本当に 好く やってくれるので これからも 頼みますよ と言われて桐の下駄を一足戴きました これが
ボーナスでした 有難う御座いました 来年もどうぞ宜しくお願いしますと 言って 今年が終わりました
明けて朝 社長が 岡山のいなりさんに お参りにいかれますが 奥さんに 下駄が無いかと 社長は言っていますが
奥さんは無いですよ 昨日 古川君に下駄を上げたでしょう あの下駄を 貸して貰いなさいと言って小生のボーナスの
下駄を貸してくれと言われ 社長に貸しましたが 返しては 貰いませんでしたが 小生何も言いませんでっした
どちらでも良かったのです どうせ 桐の下駄何か 履いて いる 時間は 内のです ゴムじょうりで沢山でした
今年も頑張るぞと自分にいい聞かせ 自分で返事をして居ました修業だ修業だ頑張ろう頑張ろう靖張16歳の春でした
荷造りと風呂焚き
毎日毎日 昼からは 荷造りをします 縄で荷造りをして 短い縄が残ります 短い縄と縄を つないで 荷造りをします
沢山 縄をつないで行きますと手の指が痛くなります ての先が ヒビ割れをおこして とても痛いです毎日のことです
夜には この 残した 短い縄切れでお風呂を沸かします暑くても ぬるめでも駄目です とにかく社長が入浴された時
ああ いい湯加減でないと しかられます風呂を沸かすのには本当に気を使いました その時 時のごみで沸かすので
検討が難しいのです風呂に水を汲むのはポンプで汲むのですが これは毎日なので107回組むと いつも社長が入浴
された時 丁度いい加減の お湯加減に出来ます 小生 小さい赤ちゃんを 背中に背負い風呂焚きです また夕食の
おかずの たまねぎの 皮をむいで いました 夜は 伝票の整理 計算の 再確認 社長の肩もみ 洗濯と寝るまで
忙しい 新聞は 風呂から出た時に 社長が 寝た 後に 読んでいました とにかく 勉強は して居ました
このごろは 得意先の住所はすべて 覚えていました たまねぎは農家より裏の倉庫にいっぱい買っていました安い
からです 一年中 たまねぎを 食べました 今思えば 身体のためには 良かったのだと思っています
2年が立ちました
新入社員が 入って来ました 水呑行きが 府中方面に(会社から 4キロぐらいの所です 繊維の縫製屋に 色々と
注文書をまとめて 毎日 買いに行くのです ブラウス 作業服 ズボン もんペい など です 毎日が楽しく 身体が
とても楽に成りました 毎日行く内に 縫製のやり方 裁断の仕方 ミシンの特殊の 色々な機械の種類の勉強に成り
仕事も 余裕が出来て来ました 縫製は これからの花形荷なる 最初のスタートでしたから 小生毎日荷物を買いに
行きながら 色々と勉強をして居ました 昼からは 後輩と荷造りをしていました この後輩が又凄いのです 古川さん
僕は なにも分かりませんので 分かるまで聞きますので 宜しく教えて下さいと言うのです これは凄い後輩が来たな
と感心しました 小生も頑張るぞと 自分にいい聞かせ あらためて 仕事に 魅力を感じる ようになりました
ある朝の味噌汁の
朝掃除をして朝食を作り 味噌汁 でも 潮を入れて 辛くならないように加減が とても難しいのです社長が お前は
何をしても 下手だな 味噌汁 一つ 上手に出来ないのか こんな辛い味噌汁が食えるかと朝から叱られましたでも
自分としては いい味だと思ったのですが駄目でした塩なので味噌の用には行かないのですが そんな事は言えません
はい すいません と 誤りました たくあん が有りましたが 食べずに ポケットに入れて 後から 食べました 朝食を
作るのも なかなか大変でしたでも とても いい経験を させて戴きました素晴らしい社長だなと いつも思っていました
ある日の便所の汲み取り こえたごに しゃくで 汲み取り いっぱいに成り それを後輩のAと二人で担いで 近くの山へ捨てに行く途中で その
こえたごが かやりまして 小生の背中から足元までかやり それは それは口ではいえない くさい くさい その服を
洗濯しても 洗濯しても このくさい においは 消えませんでした 奥様が貴方見たいな くさい人は家の中に入っては
駄目です 外で 仕事をしなさいと 言われましたが そのランニングをすてる分けにはいかないのです二枚しかないの
です お金は 使いませんので何回も 断りを言ってそのまま着ていました が とても つらい思いをしましたが自分に
とっては いい経験をしました 商売の 基礎の基礎このいやな思い出を絶対に忘れず二度とこんな失敗をしないように
一つ 一つ 真剣に 気を緩めず 仕事を 使用と 自分に 言い聞かせ 返事をして 頑張るぞ 気合をいれていました
ある正月の夜 先輩が実家より 豆もち するめイカを 持って来てくれました 夜3人で 火鉢に火を入れて 焼いていましたら 社長が
帰って来ました 何をしているのだ もちを焼いています と いいました バカたれ 炭がもったいない火を消せと言われ
仕方なくひを消しました 結局 イカは 焼かずに 噛んで食べました 餅は そのまま 食べませんでした 正月なので
甘くみていたのが 駄目でした お金を 貯める人は 一部始終が考える事が違います 凄いな また勉強に成りました
ある寒い朝
今朝は頭が 痛い熱が39度ぐらい有りました 社長に 凄い熱が有るので 寝させて下さいと お願いしたら お前は
何を考えとるのか それぐらいの事で いい若い者が 休むとは何事か 仕事をしていれば そんな熱など すぐ直るよ
と言われたので はい と 返事をして 仕事をしました 夜11時過ぎまでの永い一日でした 風呂へは入らず皆さんの
洗濯だけして 寝ました 頭は痛いし 食欲が無い 白湯を飲んで寝ました 朝起きたら 不思議に 熱が冷めていました
ある日株を始めて買いました
安い給料をためて 株を買いました 投資信託を進められましたが 小生 自分で売り買いの出きる株式を買いました
小野薬品 1000株 200円で買いました これが 小生の株の始まりでした 小生18歳の時でした 給料のお金を
始めて使いました のちに一株 5000円になりました これが株の始まりでした魅力を感じていました毎日毎日仕事に
生を出していました 19歳のある日の事です 古川と社長が呼んでいます はい といって社長の所へいきました
社長が出張に行ってこい
小生 耳を疑いました でも本当の事です 先輩のMさんが 病気で出れないので 代わりに出て来い 夢のような
話です はい 行って来ます 夜行列車で 福山駅より夜行列車に午後11時30分の大阪行きの夜行列車に乗りま
した 生まれて始めての夜行列車です 嬉しくて 嬉しくて 何がなんだか分からない自分でした 朝大阪駅に着いて
普通列車に乗り京都駅に着きました 京都から普通列車に乗り滋賀県滋賀県近江八幡市八幡駅にて乗り換えて
八日市駅に降りて
市四商店に行きました 小生の 始めての 得意先です とても沢山の注文が有りました そこから愛知川駅に下車
西山呉服店に行きました よく来たね と 沢山の注文が有りました もう一軒 久保川商店に行きました とても
沢山の 注文が有りました そこから彦根に行き 横山商店に行きました 大変歓迎されまして 沢山の注文が有り
ました 帰りに 新規に一軒行きましたら 始めてなのに 買ってくれました 宿へ泊まるつもりでしたが 終わった
ので 汽車に乗り帰りました 社長が 大変喜んでくれました 小生19歳の春でした
出張の始まり
古川 先輩の廻っている 九州の福岡県と山口県を お前に任すので 出張して来いと 言われました とても嬉しい
夜行列車で門司駅に下りて 日豊線に乗り行橋駅下車 得意先に行き沢山の注文あり犀川駅に行き森原呉服店
塩原呉服店 どちらも 沢山の注文有り そこから 飯塚しの マツダ呉服店に行き 沢山の注文あり:ました
飯塚市に泊まり 夜市内を観て廻りました 最高の幸せです 明日は 博多へ行きます 小売屋が一軒だけです
そこも良く買ってくれましたが みな小売屋さんです 福岡の卸屋さんを 一軒新規に行きました 阿部布帛です
それは それは 沢山買ってくれました 嬉しく成って 博多の町を観て廻りましたこれからは 卸屋を狙おうと思い
ました 帰ったら 社長が とても喜び お前はこれからは出張j員になって 頑張ってくれと言われました これが
出張の始まりです 19歳の春です
ある朝今夜から出張
大阪へ出張に行って来いと言われました はいと言って サンプルを作り 出張の支度をしました 夜9時ごろの
バスで福山駅に行きました 夜11時過ぎの夜行列車に乗り大阪駅に朝着きました右も左も分かりませんでした
色々尋ねて 地下鉄に乗り繊維の町 本町駅に着きました 大阪の本町は最高の人 人です町を歩いていると
問屋の店が 有りました まず 名刺を持って 店に入りました広島の備後から来ましたY
商店の古川と申します
好く来たね と店の社長が言いました 何を売りに来たのかな備後絣ですと言いましたら内にはそれは やらない
と断られましたが 絣の文ペイは どうですか といい もんペイを買って くれました これが大阪の問屋さんとの
取り引きの始まりでした とにかく 始めてで大阪の問屋さんと 取引が出来ました この問屋さんが のちに
小生の独立して 古川被服株式会社の源動力に(15年先)に成りました そこから京都の烏丸の五条の問屋を
K商店 M商店 O商店を新規を取りました そこから彦根市のY商店を新規に取りました それは沢山買って戴き
ました そこの2番目の息子さんが 小生と同じ年です そこのお上さんが 今までの 小生の 奉公の話を聞かれ
て 社長さんに 買ってあげなさいと 頼んでくださり お陰様で 沢山の注文が 取れましたそして先月新規の
店によりましたら 現金をくれました そこで 少しですが 注文を戴き 滋賀県の得意先を廻り3日で帰りました
社長が とても喜び 始めて ほめてくれました 嬉しい 嬉しい 本当に腹から喜びました 19歳の思い出です
出張の毎日
九州へ 福岡市内 小売屋さんを あまり行かず 卸問屋を狙って 新規を取りました山口県内は小売屋さんで
昔の得意先です でも その割には どの店も よく買ってくれました宇部市内で一軒大きい小売屋さんを新規に
取りましたが その割りには売れませんでした 帰りに広島市内のs商店を新規を取りました九州4日間で売れた
金額より 広島市の新規の注文の方が多いいのです おまけに 現金取引です これは考えろ必要有りです
今までの販売のやり方では 時代の先端について行けないと感じました帰って社長に話ましたら お前に任せる
と言われました 社長もにっこり笑っていました 広島の 新規も喜んで下さいました
北陸地方新規拡張
大阪 京都 滋賀県 そして北陸の敦賀市に始めて下車 駅前で自伝車を借りて市内を廻りましたが卸屋さんが
無いので 小売屋を2軒新規に取りました 駅前の旅館にと泊まりましたら 備後の出張員が2人いましたので
北陸地方の問屋がある所を聞きました 夜中に地図で調べて 明日からの 新規の行く 所を調べ電話帳にて
朝一番の汽車で福井県の武生市に行きました旧い落ち着いた町並みです自伝車を借りて市内を廻ってみました
K
とHの卸屋を新規に取りました それから電車で福井市内に行きました この市内は予想以上に大きい街でした
まず 電話張で 繊維問屋を調べて そこを6軒 名刺を配りました 2軒新規を取りました 明日は小松市へ
北陸本線 小松市 金沢市
小松駅に降りる 始めての北陸路 小松空港のある所です M
商店に行きました 名刺を出して広島から始めて
来ました宜しくお願いしますと 挨拶をしました お客さんが沢山いるので 今日は帰ってくれと 断られましたが
待たせて戴きますと言うて いろいろ お手伝いをしました 昼前にお客が 途切れました時 社長が 何を売りに
来たのかな はい 備後絣と もんぺい 作業服です と説明しながら いろいろの世間話をして 社長さんと
気持ちが通じて 始めての取り引きはしないのだが 君と話をしていると楽しくなる と 言われて気持ちよく沢山
買ってくれました ただし 小松市内には 内だけにしてくれと言われました 私も 一瞬考えましたが はい分かり
ました 社長さんの所一軒だけにしますので 沢山買って下さい必ず売れ筋の商品を提供しますので宜しくお願い
します 社長が分かった 君が気に入った とにっこり笑い 金沢へ行くのかと言われ はい と答えましたら
金沢市内の問屋を2軒 紹介をして下さいました 金沢市内に着きました 加賀百万石の城下町です これは凄い
町だ 駅前の旅館に泊まり まだ早いので 問屋を廻っても いいのですが 市内電車にのり 兼六公園に下りて
始めての 金沢市内の大きさに感動しました 丁稚に入り いろいろと 辛抱した甲斐があり 夢のような 感激を
覚えました よし これからは 出張員として 一生懸命に頑張り会社の為に新規を取るぞ と自分に活を入れて
市内の問屋がどこに有るか 見て廻り 明日朝より廻る所を紙に書き紹介された所も調べて(最後に行こうと)思う
北陸本線金沢市新規開拓
朝早く起きて 行く問屋を もう一回見て周り行く所を決めました商売は母と小さい時売りについて行き売るコツも
私なりに自信がありました その日4軒の得意先が取り引き出来ました 紹介された2軒は沢山買ってくれました
泊まって明日高岡市へ行こうかと 思ったのですが今回はこれで帰ろうと思い金沢駅より夜行列車で大阪に着き
大阪に朝着いたので そのま帰ろうと 思ったのですが 一日がもったいないので 大阪の梅田の駅前の問屋を
廻って見ました 2軒 新規が 取れました(この二軒で私の売り上げがいつも会社内で一番でした)夜帰って
社長がよく新規が取れたなと ほめて下さいました こんな笑顔は始めてでした 社長も嬉しい時は 笑うのだなと
思いました先輩達は 小売屋廻りです 私は卸屋廻り 売り上げの金額が違います あまり いい気はしません
時々皮肉を言っていましたが 小生 聞かない振りをして まいペースで仕事をしていました
九州地方出張開拓
夜行列車で福岡駅に着いた 博多市内を廻り 新規と 先月 卸屋を取ったA
店へ行き沢山売りました そして
博多より久留米駅に降りました 駅前に 一本道で卸問屋が沢山有ります 荷物を駅においてから町のはしから
はしまで歩いて店を見て周り手帳に 町の 問屋さんの 名前を書き 行きたい店に丸を付けて 行きました
最初に久留米S商事に名刺を出しました 年寄りの品のいい女性が出てこられました 広島の備後から来ました
宜しくお願いします と名刺を渡しましたら おお 遠い所から よく来たね どうぞ上がって下さい と 丁寧に
挨拶されました 小生も これは買って貰えるかも と 丁寧に挨拶をしました 社長さんもいましたが 仕入れは
息子の専務がするのです サンプルを広げて いろいろ と説明しましたら あまり買いたくないのだがと専務は
いいます 小生も ここは一番 新規を取ろうと 真剣に商品を進めていましたら お上さんが 専務に 買って
あげなさいよ この人が こんなに進めてくれるのに と横から助言してくださり その一言で専務の態度が変わり
サンプルの7割ぐらいの 品数を 買って戴きました これは 山口県を5日廻っても 売れない ぐらい 売りました
本当は 久留米市内を3間は 得意先を取る つもりだったが 駅に荷物を 置いて また市内の店を名刺だけを
出して 顔 見せだけ して 何か サンプルは 無いのかと いわれましたが 来月サンプルを 持って来ますので
その時宜しくお願いします と お話だけして帰りました 飯塚市 小倉市 山口を廻り 長門市のS商店を新規に
取りました 卸屋です 凄く買うのです いくらでも新規が取れるのです 売るこつは 母譲りです 小月市
西市の 呉服屋S
絣の 高いのを沢山買ってくれました 安いのは駄目だ 内は好いものを高く売るのだと いって
いました なるほど 他店の 逆のやり方で 呉服屋さんは やるのだと勉強しました 会社に帰り 社長は ニコ
ニコです 小生も その顔を見て嬉しく成り これからも 新規を取り小売屋さんより卸屋を新規に取ろうと 改めて
自分に言いました もちろん 会社の中では売上げは ダントツの一番でした でも給料は先輩の半分以下でした
北陸本線から 信越地方 高田市 長野市 高崎市
大阪を廻り京都 滋賀県 福井県 石川県 富山県 新潟県 長野県 群馬県 東京へ新規を取りに行く
高岡市のM 商店 それはそれは沢山買って戴きました 富山市も一軒買ってくれました 新潟の直江津市より
高田市に泊まり is商店に新規を取りました絣30反だけ買ってくれましたが このお店が のちの最高のお得意
様に成りました 長野 高崎 東京 神田を廻り 東京のKP商店を新規に取りました それはそれは沢山買って
戴きました そこの専務さんがNHKのアナウンスさんだったのです 映画俳優のお友達も沢山来ていました
まるで おとぎの国へ来たような夢のような 感じでした 売り上げも最高に売れます夜神田の宿から 市電に
乗り銀座4丁目に下車 服部時計店の前に下車 銀座の中心地にいます本当に夢物語のようです 凄い 凄い
その当時 銀座の4丁目の横に 美松と言う喫茶店が有りました それは広い広い喫茶店です 中尾みえ
園まり 伊藤ゆかり が歌っていました 凄い 凄い 生まれて始めての経験です それからは毎月東京に来たら
必ず銀座に来て美松で歌を聴きに来ていました もちろん昼は都内の問屋の新規を取り最高の売り上げを上げ
ました新規を取るのは誰にも負けない自信が有ります そんな時小松市の問屋が倒産??なぜ そんなばかな
初めての倒産と一枚の葉書
社長が古川 これを見ろ 一枚の葉書を渡された 何とあんなに よく売れていた問屋が倒産の通知です なぜ
嘘だろう と思いましたが本当だ 社長が すぐ 行け と言われたので出張の支度をして北陸の小松市に着いた
夕方の6時を廻った頃だった すぐ M商店に行きましたが 奥さんが泣いています 他の問屋さんも来ています
なぜ?? 社長は逃げていない 旅館に集まり 債権者会議です 原因は 福井の産品 糸取り引きをしていた
らしい どうにも成らない 始めての倒産の経験 取り引きの 怖さ 身にしみました 配当は 2割ぐらいだけです
その夜は小松に泊まり 会社に連絡して 明日から金沢市へ 頑張ろう この損を取り返すように 頑張るぞと
自分に誓いました長野から信州松本市 2軒 甲府市2軒 飯田市2軒 豊橋市2軒新規を取り会社に帰ると
社長が倒産を 怒られると思っていたら 古川 商売は 売るだけでは駄目だぞ と にっこり笑いながら言われた
新規を取る 相手の内容の調査が必要である今回のは さんぴんに手を出していたので まったく分からなかった
いい経験をしました それからは 得意先を見る目が違って来ました新規はいくらでも取れます会社の売り上げも
凄く出きるように成りました東京 横浜 沼津 三島 清水 静岡 浜松 蒲郡市 名古屋 岐阜を新規で廻り
どこでも大変よく売れました 商品も 絣もんペイから ブラウスに変わり売れに売れました ほとんど出張をして
いました 名古屋は売り上げが違います 7軒ぐらいありましたが この問屋さんが のちにお世話になりますとは
書結婚の思い出と会社設立
山口県より出張より帰りました 夜10時ごろ 母が靖張 あす夜見合いをするので サンパッ明日朝行ってこいと
言いました 21歳です そんなのまだ早いよと 言いましたら 母が縁と 言うのは その時が(話が)有った時が
一番だと言いました 仕方なく 母のゆうとうりにしました 夕方母と二人でバスに乗り府中市の見合いの家に行き
ました 先方の父と娘と初対面です いろいろお話して居る内に 娘さんの 着ているテックのワンピースが素敵で
笑顔も素直で そのばで お父さんに 僕にお嬢さんを下さい どんな事をしても お嬢さんを幸せにしますので
僕にお穣さんを下さい と いいましたら お父さんは つまらない娘ですが宜しくお願いしますと頭を下げて言われ
ました 有難う御座います 必ず幸福に幸せにしますと 男同士の約束をしました昭和36年1月5日に結婚しました
小生23歳の春1月の初めでした それから 娘 息子生まれ 順調に会社の仕事に精を出していました
東京から宇都宮市 郡山市 福島市 仙台市 一関市 盛岡市 青森市まで新規を取りました 売るのは幾らでも
売れました 昭和46年の3月の初め会社で 会議をしました時 話題のなかで社長がなんでもいいから質問して
くれと言われましたので 会社も大きく成ったので ぼつぼつ会社の株を持たせて戴きたいのですがと発言しました
ら社長が 古川君それは出来ないよ 内には含みが沢山あるので そんな事は出来ないよと言われました
ああ そうですね すいませんでしたと 誤りました小生その時腹を決めました それから一年間一生懸命に仕事
しました 自分がどれだけ出きるか 試しました 売れました 昭和47年1月8日朝社長に独立したいので お暇を
下さいと 言いましたら 社長がびっくりして それは駄目だ 専務になれ 息子を社長にして頑張ってくれと何回も
何回も 言われましたが その言葉を一年前の 会議の時に 言ってほしかったです私も腹を決めて居ますので
宜しくお願いしますと お願いしまた 昭和47年1月 19日退社しました19年間勤めました 34歳の春でした
その時の給料は
64000円でした 退社して3日目で 古川被服と名刺を作り一週間出張に出ていきましたら 3日間で 売れすぎて
名古屋から帰りました 得意先がおめでとう と祝儀で沢山買ってくれました 有り難い 嬉しい そして 普段は手形
の店が 商品を送れば みな現金を送金してくれました 助かりました その年の10月に税務署がきました 個人と
しては 売り上げが 多すぎる と調査に来ました のです その年の12月24日に 古川被服株式会社設立
資本金1000万円を設立 昭和48年10月に3階建てのビルを建設しました独立2年目の事です 得意先が支払いを
みな現金送金してくれました 有り難い事です そして オイルショックの時代へ
オイルショック時代 古川被服株式会社ビッククラッチR ブランドで 子供スポーツ 大人スポーツ専門
商品がいくらでも売れる トイレットペーパー 衣類 生地 織物 何でも売れました 古い店は売らずに 倉庫に
積み沢山在庫にして 値上がり したら売る計画です 古川被服株は スタートした段階です 仕入れては売り
仕入れては売り それは夢のような話 いくらでも売れる ほとんど現金で送金してくれました 有り難いことです
得意先も 宇都宮 仙台 新潟の高田市の 問屋が 毎日 送れるだけ送ってくれと 本当に夢のような話です
お金は毎日現金が入り 仕入れるのは手形で 買いました 従業員も6人に成っていました 婦人ブラウス スラックス
専門で大阪 東京の卸問屋 専門に売りました お陰で 古川被服の基盤ができました やがて オイルショックの
時代も終わり 物が売れないが来ました 弊社は スポーツの大人 子供専門で製造販売にしました 売れました
隣の土地が売りに出ました 先方の言値で約600坪の土地を買いました そこへビルを建設して ミシン工場も
建設して 裁断から縫製をして製造メーカーに成りました 商標ビッグクラッチR
ライセンスを取得しました
子供スポーツ 大人スポーツが 嘘のように売れました 四国の縫製屋と提携して専門に スポーツを造り販売して
ビッグクラッチのブランドで 全国の問屋さんから取引きをたのまれて 本当に良く売れました
昭和の終わり
婦人スラックス 子供ズボン専門の二本立でやりました 従業員は30人に成っていました 新市町の中に福山通運の
社長の出発地点の家が売りに出ていました 電話をして 少し値切って居ましたら たまたま社長が居まして初めて
話をしました 君 不動産を買う時は値切らないこと 買うか 買わないか いれば そのまま気持ちよく買いなさいと
言われました はい 分かりました 言われる単価で買います宜しくお願いしますと言いましたら社長が 気持ちがいい
と言われて50万円負けて下さいました 君はすばらしい これからも今日のことを 忘れずに 頑張ってやれと教えて
戴きました 次の日 黒塗りの乗用車に3人でこられました 小生生まれて始めてこんな高級車に乗りました
登記所に行き手つずきを済ませお金を支払いました あのときの福山通運の渋谷社長の言葉は 私の人生のあらゆる
ご手本にしています その場所で西日本一安い店(小売屋)を開店しました 売れました こんなに安ければ商品は
売れるのかと感心しました そして昭和が終わり平成元年に ゴルフはほとんど毎日行っていました お客様は毎日
大阪 名古屋 東京 北陸 東北地方より仕入れにこられました そのごろから一番好きな株取引をしていました
東京都浅草橋西口 古川被服株式会社東京支店開設
この支店を拠点に関東一円 東北地方 信越地方 羽生市 行田市のお得意先をまわり 浅草支店では 四季の
始めには見本市を開催して 遠方より お客様が仕入れにこられました 夜はお得意先と 神田 新宿 六本木
浅草 上野 都内各お店を 廻り得意先との懇親を深めました 社交ダンスは前からやっていましたが浅草橋の
プロの日本でも指折りの先生に習い昼 夜2回 レッスン30分8000円を一日2回習いましたそれが 今私の
モンマルトルダンスアカデミーの 源に成っています それからのちに広島県福山市の 西日本チャンピオンに
習いました 競技大会に出場していました 北海道の全国大会にも出場して とてもいい経験を積みました現在は
モンマルトルダンスアカデミー 広いフロアーで貸し会場して地域社会の発展に奉仕しています つづく